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マザー・テレサに奉仕した日本人

 上智大学の「生と死を考える」という講座(12回)を履修していますが、昨晩は社会福祉士の工藤裕美先生の講義でタイトルは「マザー・テレサの『死を待つ人の家』に学ぶでした。工藤氏は(と言ってもまだお若い女性)20代の前半にインドへ亘り、マザー・テレサの修道会に滞在し、その後、『死を待つ人の家』で数年、奉仕をされました。母上とご一緒に行かれたそうです。まず、どうして工藤氏が、マザー・テレサを訪問しようと思われたのか,良く決心されたとその当たりが一番知りたいところでした。

 お話では、大学を卒業後、志望した就職に尽く失敗し、絶望の日々を送られていたある日、夢で「白い象」が出現。象に助けられ九死に一生を得る経験をした〜目が覚めてその意味について考えていたとき、お母様がヒントを出されたそうです。「象」すなわち「インド」、「インドで人助けをしなさい」という連想ゲームと暗示へ繋がったとのことです。
 スタートから工藤氏の講義は神秘的というか、スピリチュアルというか。当時、お母様もご主人(工藤氏のお父様)との結婚生活が破綻して、別居中であり、母娘ともども喪失と失意の日々だったそうですが、絶望の中にある人々にはそうした「さとり」があり、道が開けるのでしょうか?

 救いを求める旅に出た母娘をマザー・テレサは「ここは、あなた方の家、ホームと思って滞在なさい」と暖かく迎え入れて下さったそうです。しかし、昨今の若い方たちにとっては、昔と違い活動の場が全世界、広くなったものだと痛感しました。国内で就職に失敗してインドへ、40年前には考えられなかったことです。
 『死を待つ人の家』での体験から、工藤氏が先ず指摘されたことが心に残りました。お仕事柄、日本の養護老人ホームとの関わりが深いそうですが、そこでの利用者(居住者)の「最後の迎え方」が、驚くほど貧しいと実感するということでした。インドに比べて物質的には遥かに豊かであるはずの日本が、この点に関してはずっと「貧しい」、インドでの死の迎え方は、日本よりずっと豊かであると言われたことは、衝撃的でした。

 しかし、最後まで工藤氏のお話を伺うと、「インド」というよりも、マザー・テレサの家(ホスピス)が豊かな看取りを実現しているのだ、ということが分かりました。ブログでも、本場のホスピスの精神などについて書いてきましたが、日本ではホスピスを導入したものの、その真の精神が浸透していないということではないでしょうか?工藤氏のお話から、そのことを再認識させられました。
 「仏像を作って魂を入れず」ではなく、「魂あっての仏像」を考える時期が来ているようです。

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by yoshikos11 | 2009-10-22 14:15
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