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いじめ:「十字架」つづき

 グリーフ・ケアの分野では、自殺という言葉は、遺族の気持ちを配慮して使用せず、「自死」という言葉を使うことが多いのですが、もちろん、作家、重松清はそうした専門用語を使用していません。どちらの用語を使うかについては、専門家の間でも色々議論があることも確かです。その議論は、別な機会に紹介したいと思いますが。。。

 昨日のブログでは、「十字架」を背負ったのは、運命のいたずらに翻弄された(ように見える)主人公ユウであると書きましたが、もちろん、一番重い十字架を背負ったのは、息子を亡くした両親であり、それも息子の死をきっかけに心身を病んでしまい、早死にした母親であると思われます。子を亡くした親のグリーフは、実につらく、その傷みは永遠と言われています。

 ましてや、息子がいじめにあって一人苦しんでいたとき、側にいながら気がつかなかったこと、助けてやれなかったことで、親はどんなに自分を責めたことでしょう。或いは、誰にも言えないことでも、親にだけは話せるような、そんな家庭環境でなかったことを悔いたかもしれません。

 しかし、この「いじめ」と言う行為について思ったことは、作者も様々の描写で訴えているように、子どもならずとも大人でさえ、暴力や脅しによっていかに脆弱にされ、思考まで麻痺させられ、冷静な対応能力を奪われてしまうかということです。そうでなければ、自殺したフジシュンは、恐らく誰かに(担任の先生か親に)SOSを発信したはずです。怯えによって一切の思考と行動がストップした結果、苦痛からの逃避として「死」が唯一の方法に思えたのでしょう。

 他の生徒たちも、暴力の前ではトラウマタイズし、怯えて逃げる他なかった。それを、一概に卑怯ものと呼ぶのは違う気がします。暴力は、だから恐ろしいと言えますが、そうした人間の心理を理解することで、なにか対処の知恵が浮かんで来るのかもしれません。

 また、学校の現場では、担任の先生一人に任せずに、学校カウンセラー、保健士さんなど、出来るだけ複数の大人の目を光らせて、暴力やいじめの兆しがないか、生徒たちの様子に日頃から注意し、早期発見を心がけることが大切なんだろうと思いました。フジシュンのような子も、誰か大人がちょっとした異変に気付いて、「君、何か心配ごとでもあるんじゃない?」と声をかけてやれば、急場を訴えるかもしれないですね。セーフティーネットが大切と思います。

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by yoshikos11 | 2010-01-22 03:10
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