昨日は、東洋英和大学院、人間科学研究会主催の講演会を聴きに行きました。今回の講師は聖路加国際病院の細谷亮太先生で、演題は「子供のターミナル・ケア」でした。この会との出会いは、昨年代表の小山千加代さんにご依頼を受けて、私自身が「伴侶との死別」についてというテーマで、自分のグリーフ・ストーリーを話させていただいたのがきっかけです。私が、夫との死別という人生の大きな喪失体験をして、グリーフに興味を持ち、とうとうカナダにまで留学してしまい、ビリーブメント&グリーフ.スタディーという専門のコースを修得することになった、そんな経緯をお話ししました。4年にわたる勉学の内容を絞り込んで、しかも一時間半で話すのに、大変苦労した記憶です。
さて、細谷先生の講演は、カナダへ留学する以前、5−6年前に一度聴きに行ったことがあります。人情味溢れる先生というのが、私のその時の印象でした。先生は子供の死に直面して、遺族と一緒に泣いてしまう「泣きべそ先生」と女性の看護士さんから呼ばれているそうです。「医大の恩師からは、患者さんや家族にあまり感情移入するなと指導されたのだが、自分はそれを守れない」と先生が言われたを今でも覚えています。 そして、もう一つ細谷先生の印象的な言葉を思い出しました。「これまでに、多くの小児患者さんを看取って、数々の思い出があるけれど、生存した子供も亡くなった子供も、自分の心のなかに等しく焼き付いている。だから、自分にとって生と死の境が次第にファジーになって、どっちの世界も一緒のように思えて来た」と言われたことでした。私は、ターミナル・ケアに身を置くってそういうことなのかと、感慨深く聞いたものでした。今にして思えば、それは細谷先生が亡くなって逝った子供たちを、限りなくグリーフしているという意味ではないのか? グリーフのspiritual reactionというべきものだろうか?そんな風に思えます。昨日は、久々に「泣きべそ先生」にお会い出来るのが楽しみでもあり、出かけました。 今回は、30分くらいビデオを見せられました。NHKが1年間かけて聖路加の小児病棟で制作したものだそうです。白血病で亡くなったまだ5−6歳の素平君と、同室で仲良しになった同年代の司君の友情物語で、特に心を打ったのは友達を亡くした司君のグリーフする場面です。むろん、5−6歳の子供には、「死」について大人のように抽象的な思考はできないし、知識として論理的に理解することもできません。実は大人だって、本当はよく分からないのが「死」かもしれませんね。しかし、6歳の子供でも「なんだか大変なことが起きたのだ」ということを、肌で感じているのでしょう。その嘆き悲しむ様子を見ると、大人のグリーフする様と何ら変わりがないみたいで、まるで「死」が何だか分かっているかのようにさえ見えるのです。「もう二度と会えない」その辛さを表現しているようで、もう一つ言えば「どうして、僕にさようならも言わずに、突然逝ってしまったの」とでも言いたげで、納得していない。(司君が一時帰宅し手いる間に素平君は亡くなった) ここでは、どうやって幼い子供に死について教えたらよいか?とうい問題が提起されています。司君のグリーフを緩和するには、やはり納得のいく説明をしてあげなければダメということが、よく分かります。子供はあなどれません。死を頭で理解出来なくても、心では何か感じているのですから。そして、細谷先生も言われたように、日頃からペットや生き物の死を経験した時、そのチャンスをとらえて教えることが大切です。急に教えるのはいかにも難しそうです。そして、もう一つ大切なことは、子供は大人のように感情の細分化をして「悲しい」「つらい」「怒り」「寂しい」などなど表現する言葉をしらないという点です。それについては、絵を描かせて自分の感情表現をさせる方法があります。色や形に置き換えるのです。子供は結構上手に絵に表すことができます。 今回、細谷先生はビデオをとおして、子供の世界を見せて下さいました。幼い子供でも、病気で苦しむ友達の「痛み」が理解出来ること、そして労ったり、気を配ったり, やさしくしてあげられることなどを見た思いです。もしかして、大人顔負けかもしれません。以前、カナダで「子供と死」というコースを取った時に、授業で、子供のサポート・グループの様子を収録したビデオで見ました。まさに大人顔負けの「慰め合い」「支え合い」をしているのです。人間は生まれつきそういう「やさしさ」を持っているのかとさえ思ったものでした。 細谷先生は、今回あまり多くは、おしゃべりされなかった気がしました。時間が足らなかったのかもしれません。沢山の幼い命を見送る立場にいる先生は、きっと「山ほど」言いたいことがあるはずー私が勝手にそう期待したのかもしれない。あるいは、先生の「思い」はきっと言葉にできない、言い尽くせないほどなのかもしれませんね。ただ2−3心に残ったこ言葉がありました。中でも、「先天性の病気を持つ親の大変さ、辛さをもっと社会全体が支えてあげるべきだ」ということでした。この社会は、グリーフ・フレンドリーではないのです。「つらい」ことや「悲しい」ことを、できるだけ見ないように、触れないように、聞かないように、そうやって人々が暮らしているのです。細谷先生は、不治の病と闘う子供とその親、そして子供を幼くして亡くした親の測り知れないグリーフを、代弁してこのように言われたのでしょう。子供を亡くした両親のグリーフは永遠と言います。私はそのような経験がありませんので、「よく分かる」とはとうてい言えないでしょう。でも、自分のグリーフがどんなかは知っています。そして、相手にの気持に出来るだけそえるようになりたいと思っています。
by yoshikos11
| 2006-03-27 01:41
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