3.11震災サバイバー:多重喪失にもめげず

f0101220_2211474.jpg再び3月11日が廻ってきました。震災後2年間、通算10回、GCCの仲間と共に岩手県陸前高田市へカウンセリング支援で訪問した日々を思い出します。その頃出会った災害サバイバ−の方々がその後どうしておいでなのか、時折思い出しては気にしていましたが、特に6年の記念日を迎えて夫々が苦難を乗り越え前向きに歩んでいて下さるように祈る気持です。
f0101220_2219036.jpgいつも震災記念日が近づく度に連絡を取って来た菅野さん(写真上は彼女とのツーショット)は、私たちが陸前高田を訪問するたびに世話役を努めて下さり、カウンセリングを必要とする方々と私たちカウンセラーとを引き合わせて下さいました。
 また菅野さん自身もサバイバーの一人で、ご主人を津波で亡くし、長年住み慣れた自宅は全壊し、更に震災直後ケアマネージャーとして奔走中、自動車事故に合い右腕損傷しました。
 深いグリーフを抱え障害まで負いながらケアマネさんの仕事を頑張って来た彼女、昨年思う所があって退職。今日久々に電話で話したところ、昨年より地元陸前高田市の災害公営住宅内にオープンした「市民交流プラザ」でファシリテータ兼相談員役に着任したとのことでした。
 震災で街が崩壊し、住人たちは住む場所を求めて方々に離散し、コミュニティが消滅しました。そんな中でやっと公営住宅が立ち入居できた人たちは、以前のようなご近所付き合いは持てず、寂しい思いをしていたそうです。そこで考案された「市民交流プラザ」は「一人ぽっちにさせない」ための新たなコミュニティ作りと言えましょう。
 菅野さん曰く『プラザではお茶を飲みながら気軽に何でも話せるため、昔話から災害体験や身内を亡くした辛い気持、生活上の悩みなど、互いに分かちあっています』と。ご主人を亡くした彼女が以前、『自分もつらいけど、これだけ大勢の人が亡くなったのだから、自身の経験を生かして他の人を支えたい』と言っていたことが、今着実に実現されていることを知りました。
 多重喪失を負った菅野さんが多くの苦難をくぐり抜けて、こうして有意義な活動に着手したことに、私は強く心を打たれました。まだまだ復興の道は険しくても、確かに再起し前向きに生きているサバイバーがいる、そう思えることで6年目のこの日に希望の光が指したようです。
 明日NHKの心フォトで菅野さんのメッセージも紹介されるようです。
私のサイトもよろしく:http://www/gcctokyo.com

 
 
by yoshikos11 | 2017-03-11 00:27 | Comments(9)
Commented by 玉江 at 2017-03-11 11:02 x
あの日から6年が経ったのですね。私も剛子先生とみなさまとご一緒に陸前高田へ行かせていただきました。何も無くなって、荒野のようになっていた街に衝撃を受けたことを思い出します。多くのことを失いながらも、力強く前に向かって進んでいる菅野さんの今を知り、わが身を振り返り、今すべきことについて改めて思いを深くしました。
Commented by 鈴木剛子 at 2017-03-11 19:47 x
玉江さんも災害サバイーバーの方のカウンセリング担当して下さいましたね。来談者の方たちが『皆たいへんのなのに私の話しなど聞いてもらって良いのでしょうか?』と申し訳なさそうに言われたことが衝撃的でした。大半の方はグリーフを抑えて生きて来られたようです。もっとカウンセリングの機会を提供できれば良かったと、心残りもありますが、あの時は、誠心誠意自分たちがやれることはやったと、そう思いたいです。
2万人を越える命が一挙に失われて〜あまりにも膨大な惨事〜私たちの出来る事には限界を感じ、謙虚な気持にもさせられますね。
せめて3.11災害の生き証人として、生きている限りは決してあの悲劇を忘れない、それが私たちにできる事かもしれません。
Commented by 招きネコ at 2017-03-11 21:56 x
6年の歳月が長くも短くも感じられる不思議な時間の感覚です。津波で自宅も会社も失い、拙宅に避難してきた親戚のご夫婦も災害復興住宅への入居を待ちながら相次いで亡くなりました。おとといの夜、スカパーで映画「遺体 明日への十日間」を視聴しました。ジャーナリスト石井光太氏が、3月11日から十日間、岩手県釜石市の遺体安置所で、ご本人が見てきた報道では伝えきれていない現状を、ありのままに綴ったルポルタージュ『遺体 震災、津波の果てに』を実写映像化した作品とのこと。この映画で遺体安置所の凄まじかった現実を知り、改めてこの震災の苛酷さを感じて落ち込んでおりました。「このような過酷な経験からどのように立ち直れというのか?」と遺族の方は無言の怒りを抱えていらっしゃるのではないでしょうか?そして、本日6年目の3.11を迎えて自分なりの追悼をしておりました。なんとも言えないやるせなさを抱えて鈴木先生のブログを拝見しましたが、多重喪失を経験しながらも懸命に活動していらっしゃる菅野さんの存在を知り、とても救われました。ありがとうございました。

Commented by 澤田 at 2017-03-12 22:42 x
一人一人のこころのなかに、光がもたらされますように。
Commented by 鈴木剛子 at 2017-03-13 02:06 x
招き猫さん、「災害関連死」という言葉が定着したようで、数千人が該当すると聞きました。この言葉、関係者にはどのように響くのか、違和感はないのか,気になっています。
それはさておき、ご親戚の方の魂の平安をお祈り致します。
石井光太氏のドキュメンタリー見ていませんが、お話だけでも壮絶な感じですね。陸前高田の遺体安置所に、長期間に亘りガードマンとして詰めていた地元の消防士さんが、日が経つに連れて傍目にも分かる程、具合悪そうになり、とうとう病に倒れて亡くなったと聞きました。
安置所を訪れる遺族の大半は知り合いで、ご遺体との対面に立会う役目は、百戦錬磨の消防士さんと言えども耐え難かっただろうと、周囲は同情していたそうです。
菅野さんは、何回もNHKで取材されましたが、ご自身の喪失体験をあれほど素直に、正直に、オープンに語れる人は希有なんだろうと思います。大勢のサバイバーの代弁者として見事に役割を果たしました。またそれが彼女の立直りのためのレジリエンスかもしれません。
Commented by 竜宮小僧 at 2017-03-14 12:40 x
昨晩東京国際フォーラムで開催されたプラシド・ドミンゴとルネ・フレミングのコンサートへ行きました。美智子妃殿下も御臨席され、アンコールで日本の唱歌「ふるさと故郷」が日本語で歌われ、途中から会場の聴衆も合唱に加わりました。6年前の震災直後に海外のアーティストの多くが来日を中止する中で、ドミンゴ氏が4月10日の公演の最後にこの曲を日本語で歌い追悼したこと知ったのは実は最近のことでした。このタイミングで一夜かぎりのコンサートを開催し、「ふるさと」を再演して下さった気持ちが有り難く、私も小さい声で歌いながら泣いてしまいました。様々な立場で色々な方法での追悼を感じました。
Commented by yoshikos11 at 2017-03-16 00:20
竜宮さん、素晴らしい方法で3.11 災害犠牲者の追悼をなさったのですね。プラシド・ドミンゴのことを教えていただき、早速YUTUBEで2011年4月10日に彼が歌っていた「ふるさと」を聴きました。しびれました。
翌年3月4日、IL DIVOのコンサートが東京であり、聞きに行きましたが、彼らも「ふるさと」を歌ってくれたこと、思い出しました。会場の人たちが心を一つにした瞬間でした。
Commented by Little My at 2017-03-16 23:50 x
鈴木先生、私はIL DIVOが英語版の「花は咲く~FLOWERS WILL BLOOM」を歌っているのを聴いて感激しました。しかしながら、親しい友人に”「花は咲く」の歌は大嫌い”と言われて悲しかったです。福島が故郷の私の母が病床でテレビを見ながら涙ぐみながらハミングしていたので、心に刺さりました。彼女は同居しているお母さまが、ご自宅で深夜突然亡くなられたことに朝まで気付かなかったことで長年自分自身を責めて苦しんでいました。あの歌の歌詞に色々と思うことがあるらしく、人の気持ちや感情は本当に様々で、当事者にしかわからない辛さがあるのだと強く感じました。
Commented by ものがたり at 2017-05-10 18:30 x
未曾有の災害、本当に多くの喪失がありました。たくさんの深い悲しみがありました。苦しみは今も続いています。その大きさ、重さに押し潰されそうになるかもしれません。でも、喪失はひとりひとりの中にあります。そのひとりひとりと向き合うことが求められるのでしょう。
近い将来、南海トラフ大地震が起きます。また、多くの喪失、多くの悲しみ、苦しみが生まれることでしょう。それでも、私たちができること、ひとりひとりの苦しみとともにあることしかないのかもしれません。
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