夏の終わりに(つづき)

ウェールズ訪問:ボーマリスの海辺    

f0101220_02421084.jpg母の命日に彼女が熱心な野球ファンということを書いたところ、様々なコメントをいただきました。しかし野球ファンというのは母のほんの一面なのであと少しだけ追記して、命日のしめくくりにします。                       大正生まれの母、女性の生き方としては、結婚して専業主婦になるという選択しかなかった時代。しかし、本当は『コンサート・ピアニストになりたかった』のだと聞いています。20歳で結婚するまで熱心にピアノの練習に励んでいましたが、見合い結婚した相手(私の父)が音楽に関心がないので次第に弾かなくなったとか、、そして第二次世界大戦が勃発。もはやピアノどころではなくなりました。母の父親が赴任先のドイツから送らせたシュタンウェイのピアノを、二足三文で売却して租界したのでした。(なんともったいない!)世が世なら母はピアニストとして活躍したかもしれません?

母が50年遅く生まれて来ていたら?生き方の可能性はぐーんと拡がったことでしょうに、と思うところが多々あります。父親(私の祖父)が造船技師であったせいか、母はメカにめっぽう強く、自宅の家電や配線系統、ミシンなどが故障しても、器用に自分で修理していました。(私は父に似て、不器用、ムリ)母がエンジニア?コンピューター技師に?私にはその才能皆無ですが、母だったら、充分成功したのでは?
そう考えると、人は生まれた時代によって、社会によって作られるのだと思います。
 あまり母のことを褒めるのも気が引けますが、最後に、彼女はオシャレのセンス抜群でした。後期印象派のエドワルド・ヴイヤールの描く女性像の雰囲気がある、といっては少し褒め過ぎですが。戦争直後、物のない時代にどこから見つけてきたのか、私に赤いサンダルシューズを買って来てはかせ,『良く似合うわ』とうれしそうにしていました。あんな素敵なサンダルシューズ、今でも中々見かけないです。

GCCのサイトもよろしく→http://www.gcctokyo.com

by yoshikos11 | 2017-08-28 03:47 | Comments(2)
Commented by 招きネコ at 2017-09-12 22:46 x
鈴木先生のブログの更新を心待ちにしておりましたので、久々の再会に喜んでおります!お母さまの命日にご紹介頂いたエピソードに心が明るくなりました。昨今は断捨離や終活とか、「人生の終い方」ばかり取り上げる風潮にうんざりしておりましたので、高齢になっても前向きに明るく過ごされていたお母さまの生き方に共感しました。「宝は天に積め」というお母さまの名言から、亡き母と旅行した際にどこかの寺院の石碑に刻まれた「足ることを知る心こそ宝船、もののかずかず積み載せずとも」を指しながら、「あなたに一番欠けているところよ」と強く窘められたことを思い出しました。

Commented by 鈴木剛子 at 2017-09-17 01:20 x
招きネコさん、忙しさにかまけてサボリガチの私のブログにおつきあい下さり有り難く思っています。母上と旅行されたときの良い思い出がたくさんおありなのですね。『足ることを知る心こそ宝船』現代人はとかく高いゴールを掲げそれを目指してひた走り〜ゴールは地位、名誉、富、と人様々なれども。そのためにもしかしてより大切なものを犠牲にしたり切り捨てたりしているのかもしれませんね。
あるカトリックの修道士の話。彼は日々の修行、務め、奉仕活動で超多忙な人生を送ったそうですが、彼が亡くなってから大勢の人が「彼はいつも自分に寄り添っていてくれた」と
語りました。彼は、「今困っている人、悩んでいる人、病んでいる人、誰かの助けを必要としている人がいると、どんなに多忙でも時間を割いて手紙を書いたり、電話をしたり、訪ねたりして支えていた」ということが、口々に語る人々の思い出話の集積から分かったとのこと。その人数の多さに一体どうやって全員に寄り添えたのだろうか、あの忙しい人が?と周囲は驚嘆したのだそうです。(宮沢賢治のようですね)
時間と人生は本当に使いようで、何を優先するのか、日々問われている気がして来ました。
<< GCC第7回強化セミナー 夏の終わりに >>