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大切な情報の共有

 暮れも押し迫り、今年も「喪中はがき」を何通か受け取りましたが、そこで初めて知人が、お身内を亡くなられたことを知ることが増えたようです。あるいは、何ヶ月も経ってから偶然に、誰かから「ええ、知らなかったの?」と言って知らされることも。

 そんな時には、なんだか知らないでいたことや、お悔やみも遅れてしまったことについて、自分が悪いような、申し訳ないような気持になるのです。

 特に、相手が私の身内の死に際しては、鄭重に葬儀に参列して下さったり、お供えを下さったりしていた場合、余計にそんな気持がつのります。そこで、取るものも取り敢えず、お悔やみ状をしたためる、お供えを手配するなど慌てることに。

 このことで、相手を責める気持など全くありません。なぜなら、色々な事情が想像できるからです。身内の死は誰にとっても頭が真っ白になる衝撃、とっさに誰に告知すべきかなどとても冷静に判断できない。あるいは、出来るだけ、そっとしておいて欲しい、「おおごと」にしたくない、などなど、それはそれは複雑な思いが色々あると察せられます。

 また、現代人は皆忙しいという前提で、できるだけ人様をお騒がせしたくない、煩わせたくない、と言う思いやりの気持もあって、ひっそりと「密葬」にしたと言う方も、最近では増えているようです。(特に、亡くなった方が高齢の場合など)

 しかし、この事について多少思う所があります。実は、葬儀には色々大切な意味があることを(今更言うのもおかしいですが)再考する必要を感じるからです。

 葬儀は、単に悲しいイベントではありえませんし、遺族が遠慮勝ちになる類いのことでもありえません。遺族は、この瞬間から「喪に服す」ことを世に公表し、正式にグリーフすることの許可を皆からもらう。参列者は、お悔やみや、支援したい気持を表すと言うたいへん大切な「社会的」意味があります。

 そして、最も大切なことは、葬儀で私たちは「命に限りがあること」や「人の哀れ」を痛感し、にもかかわらず、或いは、だからこそ、互いに支え合って、思いやって生きなければと、皆が感じることではないでしょうか?

 いくら現代人が忙しいと言っても、人の生や死を二の次三の次にすると言う話はありえないし、それくらい大切なことはそれなりの注目があってしかるべきでしょう。正直に言って、「子供には、できるだけ『直ぐ』に身内の死を伝える」というポイントは、大人にも共通することではと思いました。


 
 

 

 

 
by yoshikos11 | 2008-12-12 13:55
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