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夫の命日に

f0101220_1219421.jpg 前回は祖父没後50周年記念の行事(盛岡で)について書きましたが、昨日11月8日は、夫没後19年目の命日を迎えました。
 昨年は母校のチャペルでメモリアル・サービスを持ちましたが、今年は儀式は行なわず、その代わりに手作りのコラージュ(左・写真の絵)をスキャニングし、「メモリアル・カード」を印刷し、かつて夫とご縁のあった方々へお送りしました。

 こんな追悼の方法もあることを伝えたく、現在GCCで講座受講中の生徒さんたちにも、参考までお配りしました。実は、私にコラージュを教えて下さったのもかつての生徒さんでした。その方は抜群のアートセンスの持ち主で、私など足下にも及ばないのです。最近お会いできなくて残念ですが、もしブログを読んで下さったら、ぜひ声をかけて欲しいと願っています。

 そして偶然にも、GCCの受講生・卒業生の中に11月8日が大切な方の命日と言った方が2名もいらっしゃいます。Iさん、Hさんのためにも祈りを捧げます。

 命日、たとえ年月が経っていても、何となくザワザワ感があるものです。「今年はどうやって記念しようか?過ごそうか?」と思い悩むことも。墓参は最も一般的ですが、仮に宗教行事がなくても、「静かな時間を確保して、心が安らぐこと、お気に入りなことをやる」のが良いのではないでしょうか?

 昨日私はそれを実践できました。メール返信始め仕事関連の事柄は一切棚上げ、朝からジャズピアノを聴いてリラックス、部屋にたくさん花を生けてハッピーな気分、その後墓参。墓地が六本木の真ん中なんで、帰路は新国立美術館で「印象派・後期印象派」の作品点を鑑賞しました。
 モネ、ピサロ、シスレー、ゴッホ、スーラ ETC. の原画にうっとり、しかし美術館から見た昨日の『夕日』は豪華そのもの、何よりも感動を覚えました。

私のサイトもよろしく:http://www.gcctokyo.com
by yoshikos11 | 2013-11-09 13:08 | グリーフ | Comments(2)

デ−ケン先生司式によるメモリアル・サービス 

 11月1日は、キリスト教では諸聖人の祝日と言って、神に召された人たちを祝うのが習わしです。私個人にとっても、11月は亡き人を思う月であり、8日は夫昌平の命日、27日は父の命日なのです。もの思うことが多い11月と言えます。

 今年は、どちらの記念日も仕事で忙しくなりそうで、特別なメモリアル行事はできません。しかし、いずれも死別による喪失がきっかけで始めた仕事です。グリーフ・カウンセラー養成講座や、グリーフ・カウンセリング、「喪失・苦しみ・スピリチュアリティ」についての講演などを抱えています。
 ということで、亡き人たちは記念の儀式をスキップしても、理解してくれるのでは?と勝手に解釈することにしました。

  しかし、儀式は遺された者にとって大きな癒しにつながり、何もしない寂しさが多少あることは否定できません。そこで、今日は、デ−ケン先生が司式される「東京生と死を考える会」の合同メモリアル・サービスに参加しました。
 秋の穏やかな午後のひと時、場所も母校ふたば、幼少時代のなつかしさもあって、いそいそと出かけました。会場に入ると、かわいいカードを渡されて、思いを馳せる故人の名前を書いて提出します。後で、全員のカードをバスケットに集めて前の祭壇に置き、デ−ケン先生のリードで参加者全員で祈りを捧げるのです。
 
 デ−ケン先生のお説教は、30分の中に、死別やグリーフについて大切なテーマが全て網羅されていて、また、分りやすい言葉を使って深い意味を伝えるものでした。一言一言含蓄があり、心に迫るものがあります。
 言葉、音楽、美しい花、キャンドル、全てが一緒に解け合って、親しみやすさの中に、荘厳さも感じられる上質のメモリアルでした。式の間、最近お身内を亡くされた方が、涙を誘われて目頭を拭いたり、しくしく泣く声も聞こえてきました。

 幾つかのグループに別れての分かち合いの時間には、デ−ケン先生が丁度我々のテーブルに来られたので、初めて先生と出会った13年前のことを皆さんにご披露しました。

 昌平を亡くして間もない頃でしたが、仕事の帰りに先生の主催される会に毎週飛んで行ったこと、そしてその会の初めに先生がいつも歌って下さったモーツアルトのAve Verum Corpusが、どんなに私の癒しになったかをお話しました。
 以来、あの曲が私のグリーフ・ソングになり、生活の緊張で泣きたくても泣けなかった日々には、あの曲が助けになって泣けたのでした。それで、今日はデ−ケン先生に、13年間を振返って、感謝の気持をお伝えできました!

 思えば、私が今日こうして死別やグリーフに関する仕事をしているのも、全ての原点が先生であるとフッと口をついて出ました。先生はただニコニコしながら聞いて下さいましたが。
 
 仕事の忙しさに追われる日々、私は、癒しの空間で久々にほっとして、故人に見守られている感じに心地よく浸っていました。 隣では、4ヶ月前に突然ご主人を亡くした若い女性がずっと泣いていました。
 「辛いときは、メールに何でも書いて送って下さいね。きっと、ご返事を書きますから」と言って名刺を渡して別れました。
by yoshikos11 | 2007-11-04 03:02 | グリーフ | Comments(0)

NHK首都圏ネットワーク にGCCが取材されました

 この度、NHK首都圏ネットワークの企画「死別の悲しみと向合う」にGCCのグリーフ・カウンセラー養成講座が取材を受けました。 夕べ、その準備のため、講座の模様をNHKのロケ隊が2時間余撮影して行かれました。

 ようやく、グリーフが、メディアに注目されるようになったのですね。そのことに、まず感動しました。

 私も今回、20分ほどのインタビューを受けて、「なぜ、今、グリーフ・ケアが必要か?」についてお話しました。この質問の回答だけでも、パワーポイント5-6コマ分には匹敵するのですが、短い時間で要点だけ伝えるのに、苦労をしました。

 講座では、たまたま「グリーフの複雑化」という大きなテーマについてだったので、その内容に関しての、受講生との質疑応答なども番組に引用されるようです。

 受講生対象の短いインタビューをと言う要請もありましたが、数人の方々が快く引き受けて下さり、大変助かりました。

 さて、放映予定は、11月2日(金)、午後6:10-7:00だそうです。

  撮影は全体で3時間近かったのですが、それをもとに編集されて、実際GCCについて放映されるのは僅か5分です。(同じテーマで、高齢者の方々を中心にしたサポート・グループも取り上げるそうです)

 短い出演ではありますが、テレビの宣伝効果は絶大なので、日頃から出来るだけ多くの方々に、「グリーフ」について知っていただきたいと願っている私にとっては、またとない機会なので喜んでいます。

 ご都合が付く方は、ぜひ11月2日(金)夕方6時10分、NHK首都圏ニュースをご覧下さいね。私は、テレビ慣れしていないので、緊張で顔がこわばっているかもしれませんが、そのへんは我慢して下さい。(カメラマンさんには、ない皺までは写さないでと予めお願いしたのですが??)



by yoshikos11 | 2007-10-26 15:19 | グリーフ | Comments(2)

アル・ゴール ノーベル平和賞受賞

 「不都合な真実」という映画を製作、地球環境の異変に、厳しい警告を発したアル・ゴール氏がノーベル平和賞を受賞しました。残念ながら、私はずっと見たいと思いながら、その映画まだ見ていません。本を貸して下さった方があり、写真をパラパラと見ただけです。

 しかし、彼がノーベル平和賞に輝いたことに、ちょっとした感動を覚えています。 なぜなら、既に5年前になるでしょうか、彼が米国大統領選挙でブッシュに破れた、それもフロリダ州の投票用紙の数え直しまでして、極、僅差で破れたのでした。

 その差についても、何かグレーな部分もあったような記憶です。

 そんなわけで、あの時私は、アル・ゴールほど納得のいかない「敗北」に甘んじた人はいないのではないか?そう思った程でした。そして、一体、このような微妙な敗北とか、喪失を彼はどうやって克服するのか、人ごとながら、しばらく気になっていました。

 その後、彼は、環境問題に本格的に突っ込んで行き(副大統領当初からこの問題に関して、大変熱心だったそうですが)とうとう、映画まで製作してしまった。そして、今回のノーベル平和賞という、世界中の注目を浴びる栄誉を獲得したのですね。

 もし、アル・ゴールが、5年前、ブッシュに勝って大統領に選ばれていたと仮定したら、今日、彼は、ノーベル賞を得ていたでしょうか? どうも、そうは思えないのです。大統領選に負けたからこそ,彼は、時間やエネルギーを全て環境問題につぎ込むことができたのではないかと思うのです。

 さらに言うならば、大きな喪失により出来た「心の穴」を埋めようとする、いわば負のエネルギーというものは、実は強烈なのかもしれないのです。別な何かで満たそうとするそのパワーというものは、予想外に大きいのですね。穴が大きければ、大きい程、エネルギーは大きいはずです。

 米国大統領に選ばれる事と、ノーベル平和賞を授与することと、どっちがより大きな名誉なのか、それは本人に聞いてみなければ分りません。しかし、アル・ゴールは、単なる負け犬に終わることなく、喪失をプラスに転じたことには違いありません。

 喪失とか、苦しみとかを経験した直後は、一見して「避けて通りたい」「ネガティブ」なことにしか見えないのですが、実は、時間が経ってみると(長い目で見ると)、単に「ネガティブ」だけではなくて、何か「良い事」もあったと思えるようになるものなのですね。(アル・ゴール氏、きっとそう思っているような気がしてなりません!)

 一方、例の大統領選で、勝者となったブッシュはと言えば、どうでしょうか? アメリカ国内での支持率がドンドン降下して、不人気な政治家のモデルみたいだし、イラクの泥沼状態の政治的責任は一切、ブッシュにあるみたいな印象を、世界中の人が抱きつつありますね。(全て、ブッシュの責任ではないでしょうが)

 ここへ来て、かつての二人の宿敵が、世界レベルの評価という事において、すっかり逆転したように思うのは、私だけでしょうか? 

 喪失は、人生において、必ずしも「悪くはない」、苦しみも、時が経てば「良い事」もあった、そう思えるものだ。今、苦しみにある方、ぜひ、アル・ゴールを思い出して、そのことを信じていただきたいと思います。
by yoshikos11 | 2007-10-15 00:25 | グリーフ | Comments(0)

デ−ケン先生との出会い

 前回、デ−ケン先生の教え子たちの集まり、ベグライテンの定例会でお話をすると書きましたが、この機会を与えられたことに、私は何か感慨深いものを感じます。

 昨日、ようやくアポが取れてデ−ケン先生にお会いする機会を得ました。先生は、6月に私が参加したIWGブラジル会議の模様が知りたいと言うことでした。そのご報告と、また、この秋にある日本臨床スピリチュアル・ケア研究会のことなどご説明するのが、今回のミーティングの目的でした。
 先生は、今,誰が、どこで、何をしているかについて、常に情報収集を心がけておられ、さすがに日本を代表する死生学のリーダーであると、その真剣な姿勢に頭が下がります。
 今や、日本だけでなく、韓国、フィリピン、中国の死生学発展にも支援の手を差し伸べていらっしゃるご様子です。今に、アジアのリーダーになられることでしょう。

 デ−ケン先生との充実したミーティングを終えて、帰路のことです。ふっと、初めての出会いのことを思い出しました。今から12年前のこと。夫と死別して間もない頃でした。私のことを心配してくれた友人が、デ−ケン先生の「生と死を考える会」に行ってみたらと薦めてくれたのです。それ以来、私はグイグイと死生学や、グリーフ・スタディに引かれていき、とうとう、2000年に、カナダに留学するまでに至ったのでした。
 今でも良く覚えています。あれは2000年のイースターの頃でした。留学をしたいと思っていたのですが、果たしてどこに行ったらいいのか、皆目、見当もつきませんでした。そこで、ある日、ふっと、デ−ケン先生に伺ってみようと思いついたのです。
 といっても、先生は超人的な忙しさで、めったにお会いできないことは知っていました。たまたまその日は、先生の「キリスト教入門講座」のある日(現在も継続している)、そこへ出向いて行って待機すればチャンスはあると思い、意を決して出かけました。
 講座のある桂木会館(上智のキャンパス内)に行ってみると、いつも聴講生でごった返しているのに、人っ子一人いないのです。「あれ、日時を間違えたかな?」と戸惑っていると、そこへフッと現れたのが、デ−ケン先生でした。
 そして私に気がつかれると「国際会議に参加して、今、成田から到着したところです。多分講座には間に合わないと思って、予め今日は休講と皆さんに知らせてありました。でも、間違ってくる人がいないかと思って、ちょっと立ち寄ったのです」と言われました。

 まさに、間違って来た私でしたが、おかげで、会館のロビーで誰にも邪魔されず、ゆっくり先生とお話することができました。留学につての質問には、即答で「カナダのKing's Collegeのプログラムは、死生学のプログラムの中で世界一です。責任者のモーガン先生は友だちです。訪ねてごらんなさい」と言われました。貴重な情報と、ありがたいご紹介までいただきました。
 あの不思議な出会いと、あまりにも説得力のあるデ−ケン先生の言葉に、私は瞬時に留学を決めたと思います。計画してもこのように手際よく求めていたものが、得られるとは思えなくて、これは何か大きな力で導かれていると思ったのでした。

 あの節、デ−ケン先生は、「勉強して日本へ帰って来たら、何かこの分野の手伝いをして下さい」と言われたのです。あれから、7年の歳月が過ぎました。本当に長い道程でした。そして、私はデ−ケン先生の教え子の方々を前にして、来週グリーフ・ケアについて講演をすると思うと、ようやくお約束が果たせた気持です。
 私のグリーフの過程は、デ−ケン先生とモーガン先生抜きには語れません。今日、こうしてグリーフ・カウンセラーをしているのも、講座で教えたり、講演をしているのも、皆お二人のおかげなのです。残念ながら、モーガン先生は2005年の5月に亡くなられました。現在の私の活動をご報告できたら、どんなに喜んでくださっただろう、そう思うと残念でなりません。
 モーガン先生の追悼ミサは、私が発起人となり、デ−ケン先生の司式で上智のクルトゥールハイムで挙げていただきました。モーガン先生死後2ヶ月目のことでした。
 私のグリーフ・ストーリーは、色々なことが偶然起こったように見えながら、実は全て一つの糸で繋がっているように思えてならないのです。昨日は、二人の先生だけでなく、これまで私を支えて下さった大勢の方がを、なぜか思っていました。感謝とともに。
 
 
 
 
 
 
by yoshikos11 | 2007-09-06 15:40 | グリーフ | Comments(0)

夏の暑さにも負けず

今年の夏は、驚異的な暑さでしたね! まだまだ、残暑が続きそうですが。ブログを覗いて下さった方、8月は今日まで一行も書けなくて、申し訳ありませんでした。理由は、暑さ負けではなくて、暑さにも負けず、GCCのグループ・カウンセリング、カウンセラー養成講座、外部の講演などで、日々文字通り追われていたのです。

ようやく、先週で一つのグループがひとまず終了しました。暑さのの中、がんばって全課程6回、最後のお食事会、参加してくださった5人のメンバーには、心からご苦労様と言いいたいです。外ではほとんど話せない、つらいグリーフを話すことができて、少しは心が軽くなり、また、他の人に理解してもらえて良かった、そう思って下されば私も大変うれしいです。

そして、4月から始めたグリーフ・カウンセラー養成講座、基礎編全13回も、昨日は最終日でした。全部参加して下さった方5名、前半だけの方4名、時々顔を出して下さった方3名、合計12名の生徒さんたちに、熱心に講義を聞いていただき、講師として私は大変やりがいがありました。当初、一人の生徒さんでもいれば、開講しようと思って始めたのに、初回からこんなに大勢の方々に来ていただけたのです。大成功だったと思っております。皆さんに感謝です。

週一回の講座でしたが、今だから言いますが、毎回教材の準備で追われに追われていました。1週間の3分の2の時間を、膨大な資料の再読、復習、まとめ、パワーポイント作成のために費やしました。(この5ヶ月、好きな映画、コンサート、グリーフ関連図書以外の読書、キリスト教の勉強会、ブログ、友と交流など、全て棚上げ! 必要最小限の家事と外出で生きながらえていました)

昨夜、13回目の講義を終えて、帰宅したら、マラソンのゴールに倒れ込んだようでした。今朝、9時まで暴眠!

来年は、いよいよカウンセラーを目指す人向けの、アドバンス・コースを開講する予定です。ゲストの講師もお願いするつもりです。ご期待下さい。私には、当分ホリデーはなさそう。

ところで、夏が終わってもほっとしてはいられません。この秋は、講演をいくつかお頼まれしているので(有り難い機会です)その準備に直ぐにも着手が必要なのです。9月20日からは、再び講座基礎編も始まります。でも、今度こそ、ブログは豆に書くようにしようと思っています。懲りずに、御付き合いのほどよろしくお願いします。
by yoshikos11 | 2007-08-24 23:00 | グリーフ | Comments(2)

IWG (国際死生学会)参加

6月17日−22日にかけて、ブラジル・サンパウロ市で開かれた死生学の国際的な団体、International Work Group on Death, Dying & Bereavementの大会に参加して、6月末に帰国しました。

ブログでその模様と感想を記したいと願いつつ、帰国後、留守中溜まっていた雑用や、昨日スタートした講座の準備、秋の講演の抄録作成などが待ち構えており、今の今までバタバタとしてしまいました。 ちょっと一段落して書いています。

まず、ブラジルは遠ーい! 半端ではありません。飛行機の乗り継ぎなど入れたら24時間くらい。その乗り継ぎにもトラブって、たどり着くまで苦労しました。アメリカン航空、出発が遅延するのでお薦めできません! 

それと、地球の歩き方(どうやら唯一のブラジルガイド)によると、ブラジルの治安が極めて悪いそうです。「えーえ、もっと早く知っていたら止めたのに」って内心少し後悔し、おっかなビックリの出発でもありました。

ブラジルに行ったとは言え、滞在中、ほとんど朝から晩まで会議の日程がぎっしり詰まっており、ホテルにカンズメ状態。外出したのは、参加者全員で観光客向けのレストランへ食事に2回、半日の市内観光に1回だけで、「こわい」思いをする機会もありませんでした。

それで、ブラジルを見たとはあまり言えません。ただ、会議後、2晩だけ、ブラジルに移住して43年になる義弟の家に滞在して、子供達や孫達とも出会い、彼等を通して多少、ブラジル人の生活ぶり、気質みたいなものを知った気がします。6月祭り、Choro(日本ではショールという)の演奏会に連れて行ってもらったのが、いい思い出です。

IWGでは、世界各国からやって来た著名な学者、分野のリーダーの方々との出会いがありました。(会えるなんて、夢見たいな人たちです!) グループ別のディスカッションでは、その方々と膝を交えて熱心なディスカッションができとこと、また、多いにディスカッションにのれて自信を得たことなど、全て私にとって大変有意義でした。

また、お互いに朝、昼、晩、そこここで、顔を合わせる機会があると、親しみも湧くし、話やすくもなるものです。ブレーン・ストームされた合宿のようであり、またとないネットワーキングの場であり、心の触れ合いがあった素晴らしいIWG会議でした。

道中は大変でしたが、行き帰りには途中下車もして、三女の住むサンフランシスコにも立寄ることができて、8ヶ月の孫の顔も見れたし、実りある旅行だったと思いました。









by yoshikos11 | 2007-07-07 00:47 | グリーフ | Comments(0)

関西で講演

京都府と滋賀県の緩和ケア従事者の研究会からお頼まれして、先週末はその会の年次大会でグリーフについての講演をして来ました。200名以上の方々が集まり皆さん熱心に私の話を聞いて下さいました。

久々の京都、一泊して翌日は鴨川の水源を訪ね、山奥の新緑に囲まれて、渓流の音を聞きながら鮎など京料理を楽しみました。連れて行って下さったのは、カナダで出会った精神科医の先生ご夫妻でした。

最近は、患者さんやご家族の気持ちを配慮してか、「ターミナルケア」とか「終末期医療」という言葉が消えつつあります。その代わりに「緩和ケア」(Palliative Care)−−症状を緩和するケア−−が一般に使われるようになったのでしょう。 

たとえ、医学的データが全てネガティブであっても、愛する人の命の「終焉」を認めるのは誰にとってもつら過ぎるので露骨な表現は避ける。こうした現象を「死の文化的緩和」と言います。

もう一つ言えば、人の命の終わりは医学や医学的データが決めるものでもない。身近にも、完璧な食事療法と、休息により、奇跡的に末期的「がん」が消え、生還したという方がいます。

もっと言えば、私たちはあらゆる危険と背中合わせに暮らしているので、突然事故に遭遇して今日、死ぬかもしれない。そんなこと「あってはならない」と想定しているだけで、現にそのような死別体験をされた方がいらっしゃる。

もし、「ターミナル」という言葉を使うとしたら、私たちは皆同様に「ターミナル」と、私の恩師モーガン教授が言っていました。

5月後半は、例の講演準備で家に立て籠り、原稿作成に余念がなかったのですが、その間、長女の義父ががんで亡くなりました。亡くなる3日前に長女一家と一緒にお見舞いに行ったばかりでした。そのとき、義父さんとは旅の話題になりました。

ふっと彼は「旅したい所はまだあるけれど、もうそれもかなわない」ともらし、私を含め一瞬皆黙ってしまいました。「そんなこと言わないで」と誰かが小声で言ったようでした。この瞬間、彼はきっと「死」を意識して、何か私たちに言って欲しかったのだろうと想像されます。

何も応えられなかった自分に不甲斐なさを感じると同時に、あの際、何と言ったら良かったのかそれ以後考えていました。たとえば「宇宙に比べたら地球なんて狭いもの。旅すると言っても知れています。いつか一緒に広い宇宙をスーパーマンのように飛びましょうよ−−後から行きますから待っていて」

誰もがそんなように自由に死について話せたらどんなに良いでしょうか? 今日のブログ亡くなった義父さんに捧げます。
by yoshikos11 | 2007-06-06 11:58 | グリーフ | Comments(0)

久々のブログ再開・亡き人の誕生日

 この2ヶ月、沈黙してしまいました。この間、グリーフに関係することで話したいことが山ほどあったのですが。海外本の翻訳に日夜追われておりました。(この本—斬新なグリーフの教科書とも言うべき秀作ーについてはまたゆっくりご紹介したいです)。

 昨日、7月2日は亡き夫昌平の誕生日でした。この11月で亡くなってから12年になりますが、生きていれば72歳。戌年です。(でした? 現在形?過去形?いつも迷うところ) そこで、夕べは今は別々に暮らしている娘たちの一家に集まってもらい、孫たちも含めて総勢7名(プラス偶然7月2日が誕生日の犬のボンゾーも参加)でカジュアルなカフェで会食をしました。
 カナダに単身留学中は、クラスメートのクリスーご主人を亡くして落ち込んでいたーと一緒に互いの亡夫の誕生日には、必ずどこかで一緒に食事をして祝い合ったものです。

 グリーフには、記念日シンドロムというのがあり、最愛の人の命日、誕生日、結婚記念日、などには、「ビタースイート」(懐かしさと痛みが入り交じった)気持がふつふつとわき起ると言われます。私にとっては、もう12年も経っているので「イタい!」と叫びたくなるような感じは、確かに見当たりません。懐かしさ?ありますね。しかし、まだグリーフが新しい方々ーお身内を亡くされて1−3年の方々ーにとっては記念日はつらいと思います。幸い、仏教を初め、多くの宗教は命日に、故人を偲ぶ正式な行事を薦めていますし、家族、親戚、友人が集って会食などもあり、にぎやかさの中でグリーフのつらさも多少まぎれることでしょう。
 でも、誕生日などその他の記念日には、自分で何か手を打たないと「独りっぽっち」という方もいらっしゃるのではないでしょうか? そして、例のシンドローム。何となく、寂しい、侘しい気持になってしまいます。そこでお薦めは、そうならないように、ご家族のどなたか、または理解あるお友達(特にグリーフ・サポート・グループのお友達ならきっと分ってくれるでしょう)を誘い出して、コーヒーショップ、レストラン、バーなどお気に入りの所で、亡き人のことについておしゃべりをする、そしてその特別な日をお祝いするようにしたらいかがでしょうか? 思い出の場所だったら一層お話も弾み気分が盛り上がるかもしれません。(勿論、少々の涙は許されるコーナーに座って!)
 私の中学・高校の同級生で、今年の初めにご主人を亡くされた方があります。彼女とはよくメールの交換をします。7月1日、彼女宛のメールに私は、2日が夫昌平のバースデーであり家族が集まる予定という話をし、「貴方のご主人のバースデーはいつ? もしその日にお一人なら喜んでお食事でもお付き合いしますよ」と書きました。そうしたら、まあなんと偶然にもその日、7月1日は彼女のご主人のバースデーだったのです! 折り返し彼女からメールが来てそのことを知り、互いに話題の偶然性と、亡き夫たちのバースデーが接近していることにびっくりしました。彼女は、妹さんたちのご提案で、息子さんのご一家も一緒に、最愛のご主人を偲んでホテルで会食をしてきたばかりと言うことでした。

 最愛の人が亡くなった日。それは生涯忘れられない衝撃的なつらい思い出。その痛手と傷は永遠かと思います。しかし、よく考えてみると痛手と傷の深さはその人が自分にとってどんなに「かけがえのない」人だったか、その証拠のようなもの。そんな「かけがえのない」人がこの世に「生まれた」日、それは遺された者にとっていつまでも大切な日であり続けるはずです。あの人が亡くなっても「誕生日」までもが消えるわけではないでしょう?

 おかげさまで私は、家族と共に夫の誕生日を祝うことができて、夕べはホノボノとした気持でおりました。
by yoshikos11 | 2006-07-03 13:31 | グリーフ | Comments(3)

子供とグリーフ No.2

細谷亮太先生の講演「子供のターミナル・ケア」について感想を書いたところ、早速コメントをメールで寄せて下さった方があったので、再び同じテーマで「続き」を書きたいと思います。
   もう一つ心に残ったこと: 細谷先生が小児患者のQuality of Lifeについて、子供さんのご両親と対話されている場面でした。まず、先生はご両親に「現行の治療は効果が見られず、もはや別の治療法もありません」と告知します。まさに、医療従事者として、現代医学の「限界」、言い替えればこのケースに関しては「敗北」を認めざるを得ない苦しい状況です。ご両親の側から見れば、まさに「死の宣告」を受けたことになります。私はこの場面でお母さんが泣き崩れるのではないかと、ハラハラして画面を見ていました。そして「泣きべそ先生」ももらい泣きするのではと。しかし、それは私の一瞬の危惧に終わりました。両者とも毅然としていました。
   先生は続けます 「無駄な治療を止めて、素平君(患者)に何か一生の思い出になる、特別なイベントを考えて上げたらどうでしょうか?」とご両親に提案します。もはや治る見込みのない患者さんに対して、最後を安楽に「意義深く」過ごしてもらう、QLの基本理念に添ったご提案です。それに対して、お母さんは(泣き崩れるどころか)まさに毅然とした態度ではっきり答えました。「息子は、治療で回復すると信じて今日まで頑張ってきました。治療をやり続けることで(たとえ効果がなくても)最後まで子供に回復の希望を持ち続けさせてやりたいのです」と。それは、通常のQLの理念とも、恐らく細谷先生の通常のお考えとも、私が素人的に考えることとも、違っているように思えました。
   QLの意味とは、まさに患者とその家族が決めることなのですね。それには常識もマニュアルもないとつくづく思いました。特に患者が小児だった場合は、母親が本人の代弁者として、何が子供にとってベストであるか、子供の身になって考えてあげるのだなあと思いました。まさに母親らしい意見がもう一つありました。お母さんは続けました。「息子は、同室の子供さんたちとお友達になり、今はお友達が何よりの慰めです。特別なイベントよりも、ここ(病院)でいつも通りの日常を過ごすことが彼にとって、最も幸せなことだと思います」と言われました。
   このお母さんのグリーフは既に今回の「告知」の時点で始まっているはずです。お子さんの「死」を覚悟しなければならないーAnticipatory Griefです。いや、もっとさかのぼって最初に病状告知を受けた時点で既にAnticipatory Griefは始まっていたでしょう。(その時点では、むろん回復の希望もあったでしょうけれど、お子さんはは健常の生活を断念しているのです。ご家族にとって、お子さんにとって大きな喪失です)この大変な状況で、お母さんがこれだけ冷静に息子さんのQLについて思考し、それを細谷先生に伝えたことに私は「母親はスゴい」と改めて感じ入ったのでした。恐らくここに至るまで、先生とご両親との間に信頼関係が充分確立されてきた、だからお母さんも「安心して」先生に話せたということもあるでしょう。お母さんの発言に、子供愛に、細谷先生も説得されたようでした。素平君の治療は続行しました(多分、副作用を緩和した形でーでも嘔吐などの不快感は残ります)。医療従事者として、この説得につて細谷先生の感想が聞きたかったです。見方によれば、無駄とも言える治療をすることに先生は葛藤が無かっただろうか?
   この告知の場面、関係者が「冷静」とか「毅然」とか言いましたが、告げる方も告げられる方もその心痛はいかばかりか、私は両サイドに立って「もらい泣き」ならぬ「もらいグリーフ」をしてしまいました。しかし、なぜかその場面には「人間愛」が溢れている感じもして感動しました。そして、素平君が最後にどんなことを考えていたのだろうか?ビデオではそのことに言及していませんが、ふっとそのことが気になりました。ご両親は細谷先生が書かれた「子供と死」についての本など読んで上げたのだろうか?などのことも思いました。あるいは最後まで「平常」に接しておられたのかもしれないーそれが愛情なのかもしれないとも思いました。
   細谷先生が強調されたこと:科学や現代医学は万能ではないーそのことを忘れないで下さいということでした。裏を返せば、万能だと思って医師に頼ろうとする患者や家族が結構いるという意味なのでしょう。もしかしたら、社会全体が科学万能主義に汚染されているのかもしれません。私たちは「死を否認する」社会に生きているのであり、「死」を含めて自然を全てコントロールできると奢っているところがあるのでしょう。医療従事者と、不治の病と闘う患者さん、その家族だけが、「死を否認できない」場所にいて、「そうじゃないんだよー」と叫んでいるように思われます。とりもなおさず、我々の社会は、死と向き合う人々、死別体験をした人々をいかに阻害していることか、彼らがその社会で生きることに、いかに孤独感をつのらせていることか、改めて感じました。
   最後に、「子供とグリーフ」のページを締めくくるにあたり、その専門家フィリス・シルバーマン博士の提唱するContinuing Bond(永遠の愛の絆)を強調したいです。シルバーマン女史は、ハーバード・メディカル・スクールの研究結果より、「幼くして死別体験(研究は特に親を亡くした子供が対象)をした子供たちは、同年齢の子供たちと比較して、spiritual abilityがより発達する」といいます。それは、遺された子供が亡くなった親とずっと絆を保ちたい一心で、
対話し続けているからに他ならないからです。彼らにとって「見える世界」が全てではなく、「見えない世界」が厳然と存在し、見えないものに価値を見いだしているのです。それは、神秘的な経験などではなく、現実的な経験であると思われます。
   素平くんを亡くした友達の司君が、ミッキーマウスのシールに素平君の存在を感じ取ります。ミッキーは単なるシンボルに過ぎないけれど、司君にとっては「目に見えない」世界を思い起こさせるきっかけです。幼いながら、司君の姿に、人間に生まれつき備わっているspiritual abilityー時空を超えて過去や未来に生きるーについて思いをはせました。思い出す行為は、たんなる記憶(メモリー)の世界とはいえず、ある哲学者が「過去を現在に再現し、そこに生きること」といいました。希望する行為は逆に「未来を想像し、そこに生きる」こととなります。そうすると、RememberもHopeも「現実」であり、私たちの世界はとうてい目に見える世界だけではなくなります。Spiritualとは、とかく神秘的な能力あるいは宗教的な能力のように考えられる昨今ですが、決してそうではありません。もっと広い意味で、時空を超えることが出来る人間だれにもそなわった能力なのです。その素晴らしい能力を、もっと生かせる社会にならないものでしょうか?


   
by yoshikos11 | 2006-03-28 14:33 | グリーフ | Comments(0)