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グリーフをとおしての出会い

暑中お見舞い申し上げます。
 しかし毎日蒸し暑いですね。この季節になると4年半過ごしたカナダの夏が恋しくなります。真夏でもせいぜい室温23度くらい。22度に下がるとセーターを着込みます。夏でも部屋のエアコンなしで大抵しのげるわけです。その代わり、あの国の人たちは厳しく長い冬(マイナス20度の日々、6週間も降り止まない大雪!)を耐えるのですから、その代わりに輝かしく清々しい夏を謳歌するのは当然のご褒美、権利なのかもしれません。
 私は東京にいて、夏に旅行したカナダのCape Breton島,Prince Edward島、Quebecの北端にあるGaspeの雄大で、果てしなく広がる紺碧の海、澄み渡った空、心地よい潮風を思い起こしながら暑気払いをすることにします。
 さて、グリーフを経験したことで出会った人々について、少しずつご紹介したいと思います。カナダへは、グリーフについて勉強しに行ったのですから、その意味ではあそこで出会った人々は全てグリーフのとり持つ縁ということにるのですが――心の友という人々が次々と思い出されますがーーNO.1バッターは何といっても聖路加国際病院の元チャプレン、パウロ佐々木道人先生(以降パウロ先生)です。主治医に「ご主人の命は時間の問題」と言われ―ー死の宣告を受けを受けた直後ーー私がにっちもさっちもいかなくなった、人生最悪の時に出会ったのがパウロ先生でした。最悪の私の姿を知っている唯一の人です。
 パウロ先生は、先日このブログに登場した同じく聖路加病院、小児科医のナキベソ先生とは仲良しだと伺っています。(両者から)。共通点は、お二人とも患者やその遺族と一緒になって「グリーフ」してしまう点でしょうか? パウロ先生には、自分もお世話になりながら、いつだったか「先生、そんなに悲しんでご自分は大丈夫ですか?」などと生意気なことをつい口走ってしまった私でした。
 パウロ先生に感謝することは山ほどあるのですがーーむしろあの方にあの時出会っていなかったら、私は今こうして平穏に暮らしてはいられなかったーー中でも心身の苦痛や死の不安と闘っていた闘病中の夫昌平に、パウロ先生は、スピリチャル・ケアを提供してくださったのです。その点ではほとんど無力に等しかった私は勿論のこと、パウロ先生の他にはあの時昌平を支えられた人は誰もありませんでした。感謝してもしきれません。
 パウロ先生のことを、私は[wounded healer](傷を持った癒し手)といつからか勝手に名付けています。平たく言うと「人の痛みの分る人」であり、「一緒に悲しむことが出来る人」となるでしょう。先生の傷についてやがて知ることになったのですが、パウロ先生と奥様はご長男を3歳で亡くされました。そのときのことを回想して先生は「息子のお葬式では、泣きっぱなしで式が式にならなかった」と言っておられました。
 ご夫妻のこの悲劇が、直接チャプレンになられるきっかけになったかどうか、それは私にはわかりません。また勝手に推測するものでもないでしょう。しかし、wounded healerだからこそ、パウロ先生は大勢のグリーフする人たちと一緒に歩むことがお出来になったのでは?と容易に想像できるのではないでしょうか?そう考えると、私は何だか先生の亡きご長男にお礼を言わなければならないーーそんな風に段々思えて来たのです。
 今月5日のことです。その願いがようやくかないました。私は、パウロ先生ご夫妻に同行して、ご長男のお墓参りに谷中の墓地へ行ってきました。私が絶望の深淵にいてパウロ先生に初めて出会ってから12年。一度もお会いしたことがない坊ちゃんに「おかげさまでお世話になりました。ありがとう」とお墓の前でお礼を言いました。感無量でした。白と黄色の小菊をお供えし、先生ご夫妻とご一緒に手を合わせました。
 グリーフの大きな課題は、いかにして亡くなった愛する人とスピリチャルな(あるいは抽象的な)絆を保つかということです。これは自分にとって「身近な故人」との絆という意味に相違ないのですが、それを拡大解釈すれば、そうでない故人とも同じことがいえそうです。パウロ先生をとおして、そのお話や行いをとおして、私はいつしか知らない亡き坊ちゃんの存在を知ったということになります。目に見えるものだけではなく、目に見えないものの存在に思いを馳せるーーグリーフの大切な側面、スピリチュアルな側面です。大切にしたいと思います。

 
by Yoshikos11 | 2006-07-17 17:09 | Comments(1)

久々のブログ再開・亡き人の誕生日

 この2ヶ月、沈黙してしまいました。この間、グリーフに関係することで話したいことが山ほどあったのですが。海外本の翻訳に日夜追われておりました。(この本—斬新なグリーフの教科書とも言うべき秀作ーについてはまたゆっくりご紹介したいです)。

 昨日、7月2日は亡き夫昌平の誕生日でした。この11月で亡くなってから12年になりますが、生きていれば72歳。戌年です。(でした? 現在形?過去形?いつも迷うところ) そこで、夕べは今は別々に暮らしている娘たちの一家に集まってもらい、孫たちも含めて総勢7名(プラス偶然7月2日が誕生日の犬のボンゾーも参加)でカジュアルなカフェで会食をしました。
 カナダに単身留学中は、クラスメートのクリスーご主人を亡くして落ち込んでいたーと一緒に互いの亡夫の誕生日には、必ずどこかで一緒に食事をして祝い合ったものです。

 グリーフには、記念日シンドロムというのがあり、最愛の人の命日、誕生日、結婚記念日、などには、「ビタースイート」(懐かしさと痛みが入り交じった)気持がふつふつとわき起ると言われます。私にとっては、もう12年も経っているので「イタい!」と叫びたくなるような感じは、確かに見当たりません。懐かしさ?ありますね。しかし、まだグリーフが新しい方々ーお身内を亡くされて1−3年の方々ーにとっては記念日はつらいと思います。幸い、仏教を初め、多くの宗教は命日に、故人を偲ぶ正式な行事を薦めていますし、家族、親戚、友人が集って会食などもあり、にぎやかさの中でグリーフのつらさも多少まぎれることでしょう。
 でも、誕生日などその他の記念日には、自分で何か手を打たないと「独りっぽっち」という方もいらっしゃるのではないでしょうか? そして、例のシンドローム。何となく、寂しい、侘しい気持になってしまいます。そこでお薦めは、そうならないように、ご家族のどなたか、または理解あるお友達(特にグリーフ・サポート・グループのお友達ならきっと分ってくれるでしょう)を誘い出して、コーヒーショップ、レストラン、バーなどお気に入りの所で、亡き人のことについておしゃべりをする、そしてその特別な日をお祝いするようにしたらいかがでしょうか? 思い出の場所だったら一層お話も弾み気分が盛り上がるかもしれません。(勿論、少々の涙は許されるコーナーに座って!)
 私の中学・高校の同級生で、今年の初めにご主人を亡くされた方があります。彼女とはよくメールの交換をします。7月1日、彼女宛のメールに私は、2日が夫昌平のバースデーであり家族が集まる予定という話をし、「貴方のご主人のバースデーはいつ? もしその日にお一人なら喜んでお食事でもお付き合いしますよ」と書きました。そうしたら、まあなんと偶然にもその日、7月1日は彼女のご主人のバースデーだったのです! 折り返し彼女からメールが来てそのことを知り、互いに話題の偶然性と、亡き夫たちのバースデーが接近していることにびっくりしました。彼女は、妹さんたちのご提案で、息子さんのご一家も一緒に、最愛のご主人を偲んでホテルで会食をしてきたばかりと言うことでした。

 最愛の人が亡くなった日。それは生涯忘れられない衝撃的なつらい思い出。その痛手と傷は永遠かと思います。しかし、よく考えてみると痛手と傷の深さはその人が自分にとってどんなに「かけがえのない」人だったか、その証拠のようなもの。そんな「かけがえのない」人がこの世に「生まれた」日、それは遺された者にとっていつまでも大切な日であり続けるはずです。あの人が亡くなっても「誕生日」までもが消えるわけではないでしょう?

 おかげさまで私は、家族と共に夫の誕生日を祝うことができて、夕べはホノボノとした気持でおりました。
by yoshikos11 | 2006-07-03 13:31 | グリーフ | Comments(3)