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Virginia Tech の悲劇

アメリカVirginia Tech の大量殺害事件は、世界中を震撼とさせました。 お金さえ出せば意外に簡単に誰もが銃器を購入できるらしいアメリカが、恐ろしいというべきなのでしょうか? 

私たち日本人にとって、本来安全であるべき大学のキャンパス内に、いち学生が銃器を持ち込み、携帯してかっぽしていても、何の取り締まりにも引っかからず、怪しまれもしなかったことが驚きです。

今回の恐ろしい射殺事件について、アメリカの心理学者の分析をまとめた記事を読みました。ある学者は、この事件は「銃器所持を制限するべきとか、禁止するべき」などというレベルの議論をしても、何の解決にもならないと言っています。

むしろ、アメリカ社会への「適応」は、私たちが想像する以上に容易ではないということ、そうした側面に目を向けるべきだと指摘しています。今回の事件では、まさにアメリカ社会に於ける不適応者の「やり場のない怒り」が爆発したのだと。

また、別の学者は、エリート集団である大学という共同体が閉塞的で、外の広い社会では些細な問題が、学内では膨大化して見えてしまうのだとも。ちょっとした不満がどんどん膨らんでそれにオブセスされ、冷静な目を失いがちになるというのです。

いずれの議論も、善くも悪くも人間が環境によって形成されるということを言いたいようです。

だからと言って、ミスフィットと言われる人々が誰しもあのような残虐な殺人行為で「うさ」ばらしをするわけではないはずです。

今回の事件ではなはだ悔やまれるのは、犯人の周囲に、たった一人の家族でも、友達でも、先生でも、カウンセラーでも良いから、彼が人間的触れ合いを感じる相手がいなかったのかという事です。

誰かに心を開いて話せていたなら、少しは自己の思い込みの激しさ、考えの歪み、嫉妬心などを修正できたのではないか。そこまで孤立し、孤独だったのだろうか、等々考えさせられてしまいます。どんどん自分の殻に引きこもり、逃げ場がなくなったのでしょうか?

犯人の生い立ちや家庭環境などは、あまり詳しいことは公表せれていないようなので、個人の性格(異常なのか正常なのかも含めて)に帰する殺人の動機などについてはよく分かりません。一般的に言われる「やり場のない怒り」とか「自信のなさの裏返し」が暴力行為になったとしか書かれていません。

理由はともあれ、ほぼ無差別的に殺害された32人の犠牲者を思うと、何ともやりきれない気持にさせられます。そして特にその人たちの親、兄弟、友人たちのグリーフはどんなに大変だろうかと深い同情の念でいっぱいになります。

遺族達は,とうてい理不尽な死を容認できないでしょうし、終世犯人に対して、また社会の無秩序に対して、どうしようもない「憤り」を抱きつづけ、苦しむのではないかと想像されます。

一方、犯人の親、兄弟は公に彼の死を悼むことすら出来ない。誰にも同情されず、むしろ批判され、ひたすら汚名と闘わなければならないでしょう。特に、親は、全うな子供を育てられなかったことを、自分たちの責任として、生涯後悔し続けるに違いないのです。

この事件、何ともつらく、救い難い出来事です。
by yoshikos11 | 2007-04-30 01:51 | Comments(0)

グリーフ・カウンセラー養成講座 

4月5日からGCCでは、<ビリーブメント&グリーフについて学ぶ:心身の健康と自己の成長のために>がスタートしました。

既に3回の講義を終えて、講師である私はようやくパワー・ポイントの作成と取り扱いにも慣れて、講座準備中心?の生活のリズムも掴みました。

初日は、メカに決して強くない私なので、PCとプロジェクターを繋ぐところから緊張し、作動中も途中でトラブルが起きないか心配でドキドキ。 案ずるより産むが易しー全て順調でした。

GCC講座は初回にも関わらず、8人もの生徒さんが集まって下さり感動しています。中には、福島県から毎週参加して下さる方もあり、講師として身の引き締まる思いです。皆さんの熱心さ、学問的好奇心の強さ、思いやりをヒシヒシと感じています。

前期は後3回、そして後期は7月5日から7回予定。毎週木曜日の夕方です。

講座のレベルは、基礎講座ではありますが、学問的レベルを高く保つように心がけています。カナダのKing's Collegeで使っていた教材、教科書、テープなど一通り復習して、講座には大切なことを凝縮させるようにしています。(大学院レベルですよ!)

「内容が濃いですね」と言う言葉が生徒さんから返ってきて、私としては努力のしがいがあり、励みになっています。

「教えることは、自分が学ぶこと」 誰かがそう言っていましたが、本当にその通りだと思います。自分が良く分らないこと、不確かなことは調べてクリアにしていかなければ、他者に教えるわけにはいきません!

確かに学問をやっているのですが、テーマの性質上、どの理論一つとっても銘々の人生経験、喪失体験に直接呼応する部分があるので、教室では、生徒さん達の手応え、反響、時には抵抗をも感じます。「理論」から「経験」、「経験」から「理論」その切磋琢磨が大切なんでしょう。

皆さんが、「知識は身を助ける」ことを信じて、講座をまず「ご自身」の支えにしてくだされば良いなあと願い、次には「他の人」を支える糧にしていって下さればと願うこのごろです。

前期は、最低覚えなければならないことが「いっぱい」ありますが、「後期」はきっと身につけたことが役に立って、生徒さんたちは「余裕」がでて、もっと「おもしろく」感じると思っています。
by yoshikos11 | 2007-04-21 11:21 | Comments(0)

小さな燈台の光を見出して

GCC のホームページには、イメージ・フォトとして燈台の写真を使っています。荒海を航海する船の行く先を照らし、方向を見失わないように見守るのが燈台の光です。

GCCは、グリーフの苦難の過程を歩む人々に寄り添い、見守るのが第一の役割だと考えますので、まさにそうした人々にとっての「燈台」になりたい。そんな気持で今回イメージ・フォトを選んだのでした。

前回のブログには、一つのグリーフ・グループが修了したと書きました。その修了者の一人の方が、「カウンセリングを通して、まさに燈台の小さな光を見出したようでした」とコメントして下さいました。

まさに、私が日頃志していることを、ズバリ認めて下さったこの方のコメントに、私は大変感動しました。「燈台」のメタファを引用して下さった事も、偶然だったかもしれませんが、私にとっては「深い」意味があるのです。

燈台といえば、私は、子供の頃から海ー大好き人間です。特に雄大な海を見渡して、「すくっと」立っている燈台の絵や写真に引かれます。これまでに色々収集してきました。私の狭いマンションには、現在全部で7点、燈台の絵が掛かっています。

カナダのケッベック州に、Gaspeという風光明媚な海沿いの国立公園ががあります。留学中のある夏休みにそこを訪れました。一人でしたが、レンタカーをして、3日間に1000キロ車を走らせ、海の景色を満喫し、行く先々でそれぞれに特徴のある燈台を訪れました。

燈台では、コーヒーと簡単なサンドイッチを売っているところが多いのです。海を眺めながらほうばったサンドイッチ。。私にとっては最高のランチ・タイムでした。時間がゆっくり流れて何と平和な瞬間だったことでしょう。

「誰かと一緒ならもっと楽しかろうに?」そんな声も聞こえるようですが、ドライブ中感動の景色と出会うたびに、亡き夫も共にエンジョイしているのだと、ずっと思っていました。
by yoshikos11 | 2007-04-07 15:25 | Comments(2)