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「ストップ・ショッピング」宣言

 Thanksgivingからスタートするアメリカのクリスマス商戦、今年は金融危機の影響で、とても厳しそうです。日本もそのあおりを受けて、一部上場の会社が倒産するなど、年末はとても浮かれた気分になれそうにありません。

 アメリカでは、クリスマス・プレゼントのやりとりがとても盛んで、一年に一回、皆気前よくパッと買い物をする習慣があるのですね。1990年代、仕事でこの時期に、ニューヨークにひと月滞在したことがあり、町中活気に溢れ、デパートもどの店も買い物客でごった返していた記憶です。

 それはかつての夢と化したようです。最近、ワシントン・ポストの記者が「ストップ・ショッピング」と言う提案をしているのを読みました。
 生活に絶対欠かせない物以外、一切買わない(ワインなど嗜好品も含めて)、外食はしない、外でお茶もしない、服や靴、もちろん、車など絶対新調しない、劇場やコンサートにも行かない、という徹底した「買わない」宣言です。寄付を頼まれても断わります。

 それで困るのは、夫婦で友人宅のクリスマス・パーティに招待された時だそうで(また、パーティは盛んで幾つもあり)たいてい、相手はプレゼントを用意しているので、手ぶらでは行きにくいということです。

 しかし、「買わない」を徹底するために、予め周囲の友人たちに「今年、我々は一切クリスマス・プレゼントを贈りませんので」とPRしておく、そうすれば、相手も用意しない、とのこと。

 クリスマスの贈物の習慣が、コマーシャリズムに乗せられて行き過ぎた結果、その反動が、こうした極端な提案を生む事になったとも言えそうです。そこまで行くと、なんだか寂しい感じもしますね。
 たとえば、手作りのもの、ケーキ、手芸品、キャンドル、アート作品などだったら、買わなくても家にあるもので用意できるじゃない?と言いたくなります。

 しかし、この不況下で、お互いに合理的なおつきあいをして、無駄を省くことは賢い生き方であることは確か。お歳暮シーズンに向けて、考えさせられる記事ではあります。

 

 
by yoshikos11 | 2008-11-30 00:31 | Comments(0)

アメリカの感謝祭・Thanksgiving Day

今年は、11月27日がアメリカの感謝祭、Thanksgiving Dayでした。(ちなみに、カナダでは10月8日)毎年、第4木曜日がそれに該当します。この日には、北米の人たちは、ロースト・ターキーを食べる習わしがあります。クランベリー・ソースを添えて。

 Thanksgiving Dayの起源は、ヨーロッパから清教徒たちが新開地を求めてアメリカに渡り、上陸した17世紀にさかのぼります。メイフラワー号に乗ってやって来た彼等は、東海岸の港に上陸。最初は、地味の肥沃な土地を探し求め、あっちこっち点々と移動して、一つ所に落ちつくまでかなり時間がかかったようです。

 慣れない土地で散々苦労して作物を収穫した翌年、移民の人たちは神に「感謝」を捧げたと言います。その気持をづっと今に引き継いでいるのが、Thanksgiving Dayと言う事になります。

 一方、現代のアメリカでは、この日を皮切りに「クリスマス商戦」がスタートします。日本のように、中元、歳暮のような習慣はありませんから、クリスマスが最大のギフト・シーズンと言うわけです。New Yorkの高級ブランド店などは、年間売上の25%をこのシーズン(3ー4週間)で上げるほどです。

 メイフラワー号の、最初の停泊港は、「プロビンスタウン」、9月にIWGの会議が開催された土地です。町の中心にはメイフラワー号停泊の記念塔が立てられています。
 また、私たちが宿泊したホテルのそばにも、海辺沿いの散歩道に「メイフラワーのファースト・ランディング・プレース」という記念碑、また、メイフラワーの子孫たちと言う墓碑が建てられていました。

 中には、幼子の死も少なくなかったかもしれません。移民たちが食糧、安全な住まい、医療などを確保するのは容易なことではなかったことが、偲ばれます。f0101220_1558916.jpg
by yoshikos11 | 2008-11-29 16:08 | Comments(0)

大阪の助産士さん

 GCCの講座には、これまでに数名の看護士さん、助産士さんが参加して下さっています。過密な勤務体制の中、何とか時間をやり繰りして勉強にきていらっしゃり、主催者として頭が下がる思いです。勤務先の病院や看護士会のご理解もありがたい。

 それだけに、皆さんとても勉強熱心で「グリーフケアを学ぶことで、重病患者を抱えたご家族や、看病のかいなく身内を亡くされた方たちの気持を、少しでも理解して接したい」と言われます。

 こうした看護士さんや、助産士さんの家族に対するサービス精神は、尊く大切なことと思います。身内を亡くした直後、周囲に思いやりをもって接してもらえたか、そうでないかによって、遺族のその後のグリーフに多いに違いがあると思うからです。
 「つらい時に、優しい言葉をかけてもらった」経験は恐らく生涯忘れないでしょう。逆に、病院で「あの態度に傷ついた」と言う経験もあり得るわけです。

 一方、患者を看取る医療者自身のストレスも、たいへんなものだろうと察せられます。誠心誠意お世話した患者さんに死なれることは、身内でなくても心傷む経験に違いないからです。

 従って、GCCに来られる看護士さん、助産士さんは、ご自身のケア、セルフケアも学びに求めているのだと思います。特に、産科は誕生の喜びと不運にも死産と言う悲しみもありうるわけです。時を前後して両方が起こると、「気持の切り替えが容易ではない」と、ある産科の看護士さんが言われました。

 こうして、GCC講座を受けられた医療者のなかで、大阪から毎週新幹線で通ってくださった助産婦さんがいらしゃいます。私は、そのことに信じられないほど感動しました。産科不足の折り、仕事は際限なく増大しているそうですが、よく遠距離通学されたと驚嘆しました。講座基礎編、13回を修了されたのです!

 いつか、大阪を訪問して彼女に恩返しがしたいのです。彼女の病院で講義をするのが良いのか、現場の方たちのグリーフを聞くのが良いのか、ずっと考えているのですが。
 

 
by yoshikos11 | 2008-11-26 21:56 | Comments(0)

Soul Mate (心の友)

 昨日は、GCCグリーフ・カウンセラー・トレーニング・コース、最終回を終えました。12月初旬の資格審査を残すのみとなりました。

 9月にロバート・ニーメヤー教授を招いての一日ワークショップ、その後、平均月2回、5人の国内の講師にご指導いただきました。私も、主催者ではありますが毎回受講生の皆さんに混じって一緒に学びのチャンスをもらった気がしています。

 全10回のワークショップ、講義を含むこのコース、企画と運営は決して楽ではありませんでしたし、運営上の反省点もいくつかあります。しかし、受講生の間でもたいへん好評でしたし、今,やり終えた達成感を味わっています。

 最終回は、JT先生のご指導でリフレクティング・チーム・アプローチの演習をしました。参加者が、話せる範囲で自分が今、抱えている悩みをグループ内で話し合い、その模様を他の5-6人が観察、その後コメントすると言うもの。

 今回、トレーニング・コースに参加した仲間たちの間には、いつしか、結束と友情が生まれたようで、皆安心して心を開き、本当に話したいことを語りあっていました。そのことにより、互いに心と心が深いところで触れ合うと言う、素晴らしい経験をしました。

 皆が、学習を通して、soul matesを見つけたことに、主催者である私も満足を覚えます。とても好感の持てるGCC スピリットが生まれつつあります。

 

 
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by yoshikos11 | 2008-11-23 02:15 | Comments(0)

男性とグリーフ

 昨日は、GCC講座基礎編で「グリーフと性差」について講義をしました。グリーフの表現として、女性と男性が違うのか、違うとすればなぜか、などについて研究結果を踏まえて論じました。ビリーブメント(死別喪失)の分野では大きなテーマです。

 一般的に「男性は、女性に比べてあまり感情表現をしない。弱みは見せない」と言われています。だいぶ前に「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルがありましたね。子供のときから「男の子は泣かない!」と言われて育つという背景もあります。

 それに比べて女性は、男性よりも泣くことを許され、痛い、つらい、苦しいなどと訴えることも比較的受入れてもらえるようです。もっとも、女性でも、グリーフの強烈な感情は、そう容易には、また、誰にでも話せるものではないのですが。

 グリーフケアの観点からは、どちらが有利なのかと言えば、できるだけ上手に自分の感情を表現できる方、一般的には女性ということになります。男性はこの意味では不利なのですね。

 統計上からも(アメリカの場合)若くして奥さんを亡くした男性の罹病率、死亡率が奥さんのいる男性に比較して、数倍高いと言うことが立証されています。特に、肝硬変による死亡率は6倍、驚くべき数字です。(男性は寂しがりや、心の傷みをアルコールで忘れようとするのでしょうか?)

 「これから死生学の大切なテーマは、男性のグリーフです」とアルフォンス・デ−ケン氏もはっきり言われています。私も、そう思いますし、ぜひ、何か役に立てないかと常々考えています。

 一方、ここ20年の間に社会も激変し、女性の社会進出も目覚ましいものがあり男女のイメージもそれに伴い変わりつつあるようです。男性に期待するイメージ女性に期待するイメージは、限りなく接近して来たのかと思います。

 受講生の一人(若い女性)が「今は、男性のイメージとして、強い、勇敢、頼りがいがある、冷静沈着などは、思わない」と言われました。むしろ、社会のリーダー的な女性には、そうしたイメージが期待されているかもしれません。

 となると、昨今は「女性も黙ってサッポロビール」になりかねないので、強い女性のグリーフケアも大切になりますね!

 
 
by yoshikos11 | 2008-11-21 13:23 | Comments(0)

夫婦の日

 11月22日は夫婦の日と言うのだそうですね(コジツケっぽいですが)。先日テレビで世代別「結婚観」について20代は「愛情のつながり」、50代以降は「忍耐」と考えていると、あるアンケート調査の結果を伝えていました。

 そう言えば思い出しました。その昔、私たち夫婦の結婚式で、夫の勤務先の社長さんが祝辞を述べられ、その中で、夫婦とは一にも「忍耐」二にも「忍耐」と強調されたことを。「祝いの言葉にしては、なんと夢がないのだろう」と20代の私は思ったものです。以後、私は彼に「忍耐社長」と言うあだ名をつけました。

 同じアンケートで、「もう一度人生をやり直せるとしたら、今の相手と結婚しますか」という質問があったそうですが、40代以降の男女とも、8割近くが「いいえ」と回答したと言います。皆ひたすら「忍耐」して夫婦の関係を保っていると言うのでしょうか?アンケートの信頼性はさておき、何だか寂しい気がします。

 一方で、私は、仕事柄、伴侶を亡くされた方々との出会いが多いのですが、たいてい、亡くされた相手を思うにつけ、恋しさ、会いたさがつのり、探し求めてしまう程なのです。言い換えれば、あの人さえ生還したら、もう一度やり直せるなら、何も不満はないと言う感じなのです。

 想像するに、普段はいるのが当たり前と思っている相手、長所より短所ばかりが気になる相手、死別して初めて、相手の有り難さに気がつくのかもしれません。夫婦の日には、ぜひ、相手の存在がいかに大切なのか、互いに思ってみることにしたらどうでしょう。後悔先に立たずというように。

 

 
by yoshikos11 | 2008-11-20 03:01 | Comments(0)

秋を愛でる

 都内の紅葉もこの1週間くらいが見頃でしょうか?今日、三宅坂、竹橋近辺を車で通たら、けやきが赤く色づき目に鮮やかでした。銀杏の紅葉はもう一息ですね。ゴールドに染まる頃は、さぞ、豪華なことでしょう。

 父の命日も、夫の命日も11月。しばらくは、紅葉の景色が別れを想起させるので、どうも苦手でした。胸が傷んだのでした。しかし、時の経過が癒してくれたのか、最近では色づいた樹々の美しさをうっとり愛でるようになりました。

 それにしても、自然の色、形は何とすばらしいのでしょう。私は、特に、洋梨の形がおもしろく、気に入っています。ポストカード、ノートカード、陶器など、洋梨の絵やデザインがあると、つい買ってしまいます。

 先日、とても大きな秋田産の洋梨を八百屋さんで見つけました。形がユニークで、コミカルで、色合いも面白い。食べたいというより、眺めたくて買いました。
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by yoshikos11 | 2008-11-19 02:13 | Comments(0)

上智のグラウンド

 先日、子供の頃の運動会の夢を見た。めったにないので、なぜだろうと不思議に思っていた。
 その翌日、偶然、上智大学の土手の側を通りかかり、昔昔運動会をやったグラウンドが土手下にあることを思い出した。夢のせいである。かつて、一度だけ「生徒を思いっきり走らせたい」と言う我が母校の先生たちの計らいで、そのグラウンドをわざわざ借りての運動会があった。

 何やら急になつかしくなり、土手に登って下のグランドを眺めてみることに。かつてなかったテニスコートができて、広かったトラックは随分狭くなったようだが、未だにグラウンドには変わりない。タイムスリップして思いにふけり、しばし眺めていた。

 私たちの時代は、今と違って小学校にPTAなどもなく、親たちが学校を訪問することは極めて稀であった。せいぜい、運動会などの行事くらいだった。特に、父親はまず、学校に来ないのが相場だった。

 しかし、たった一度だけ例外があった。父が、なぜか、上智のグラウンドで行われたその運動会を母と二人で見に来たのだ。両親そろって学校の行事へ来たのは、後にも先にもこの一回。両親は、土手の中腹に座ってグラウンドを見下ろし観戦していた。

 その運動会に限って、私は徒競走で一着になった。どうしても、勝てないライバルが一人いたのだが、その時だけは接戦の末勝った記憶である。走り終えて、遠くで見ている両親の方を見上げたとき、父がニコニコとうれしそうに手を振っていた。

 小学6年生の時のことである。あの時の父の姿が鮮明に脳裏に焼き付いている。あんなにうれしそうな父をかつて見た事がなかった。生涯スポーツ好きで、若い時には陸上競技の選手だった父である。

 あれから何と長い年月が過ぎたことだろう。父は24年前に亡くなった。そうか、父の命日が近いので、こんな夢を見たり、思い出が甦って来たのだろうか?

 

 
by yoshikos11 | 2008-11-18 01:58 | Comments(0)

再びフロレンス・ウォルド

 「フロレンス・ウォルド、アメリカ終末期ケアのパイオニア、91歳で逝く」14日付New York Times紙の見出しに。わあ、やっぱりスゴい人だったのだ。

 1974年にホーム・ケア・ホスピスのプログラムを構築、その6年後に独立型第一号、コネチカット・ホスピスを設立。当時を振り返り、ウォルドは「それまで、不治の病を抱えた患者は、病院で地獄の思いをしていた」と語っている。

 ウォルドがホスピス理念をアメリカに導入して以来、一般病棟も含めて、末期を迎える患者とその家族に対する看護教育が、これまでとがらっと変化したと言われる。患者が「機能不全を抱えたボディ」から、「心も兼ね備えたボディ」へと認識が変わった。
 
 ウォルドは、1996年、エール大学より、「アメリカ・ホスピス運動の生みの母」と言う事で名誉学位を受賞したが、本人曰く「これは間違った記述です。当時、私以外にもホスピス理念に感銘を受けて、その実現に情熱を傾けた人たちが、たくさん、たくさん、いたのですから」

 自己の名誉や名声のためではなく、ひたすら他者のために、苦しむ人のために、人類の福利の為に、生涯を捧げた人ならではの、さわやかな言葉である。

 ウォルドの人柄に個人的に触れた人たちが、異口同音に「私の心の奥深くまで理解してくれて、親身になって思ってくれた人」とコメントしているのが印象的であった。
 

 
by yoshikos11 | 2008-11-16 01:41 | Comments(0)

KY (場の空気が読めない?)

 平岩弓枝さんは、その著書「伴侶の死」の中で日本人にとっての夫婦観は「互いにとって空気のような存在」と評している。本書は、日本全国から寄せられた伴侶を亡くした男女1000名以上の手記から、選びぬかれた70名のものを掲載し、まとめたものだ。

 かつて、カナダに留学中、論文を書くのにこのことを引用しようと思い、「空気のような存在」を英語で何と訳したものか頭を抱えた記憶がある。「いてもいなくても気にならない存在」なんてことは、欧米人の夫婦観からは中々理解してもらえないからだ。

 KYについて、GCCの受講生から初めて教わったのはいつだったろうか?確かに、言語化されない部分を察することは、カウンセラーとして極めて大切な要素である。

 しかし、KYは単一民族、単一文化の日本だから生まれた言説?とも言えないか?異文化感では中々そうはいかない。「場の空気」や「阿吽の呼吸」にそうそう頼っていられないのである。
 一歩日本の外に出たら、誰からも理解されるように、論旨を整え、適格な用語、自己の態度の明確化、具体的な話題提供、などを意識して話すことが必要になる。日本ではそうしたスピーチのイロハが軽視されているように思う。

 たかが言葉、されど言葉。昨今、オバマ次期大統領当確の際の演説は、日本でも感動した、素晴らしい演説だと言っている人がけっこう多い。彼の高所大所から物事を見るスケールの大きさ、内容の普遍性が日本人にも訴えるものがあった言えよう。
 一方で、日本であまり言われないのが、オバマが、レトリック(弁論術)をしっかりマスターした、スピーチの達人、という点である。言い換えるなら、スピーチのプロ中のプロと言うことだ。

 これを機会に、スピーチ、言葉による自己表現、伝達の大切さを改めて考える傾向が生まれれば良いがと思うのだが。
by yoshikos11 | 2008-11-15 13:20 | Comments(0)