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厳寒の夜空

 今夜は、この冬一番の寒さ。気温が降下すると、その分、空が澄んで見えるのでしょうか。星もいつもよりたくさん見えるみたいです。夜空には、白い雲までくっきり見えて、表情豊かですね。でも、テラスにいると寒い、長くはいられない。

 こんな夜に「当面の住まいのない人」がいる、ホームレスが増加した、等と言う最近の報道がふっと気になりだします。

 今年、NPO自立生活サポートセンター・もやい事務局長の湯浅誠氏の講演を聞きましたが、彼はホームレスの人たちの思いを理解するために、自分で厳寒の頃に、代々木公園だったか、一夜を屋外で過ごしてみたそうです。

 「スリーピングバッグにくるまっても、その下に新聞紙やボール紙などを幾重にも敷いても、どうにも寒くて眠れない。ウトウトしても凍えそうで直ぐ目が覚めてしまいます」「皆さん、想像がつきますか?」と私たちに訴えかけていました。

 湯浅氏は、ホームレスの人たちに「エンパシー」を感じたことでしょう。自分も含めて暖房の効いた暖かい家でぬくぬくと暮らしている者には、到底、厳寒に外で寝る人の気持は分らない、エンパシーの限界です。

 「もやい」のような動きが他にも増えているようです。私たち一人一人がたとえ微力でも支援の手を差し伸べなければならない時期が来ていますね。

 もっとも、湯浅氏は「貧困の問題は社会の構造の問題」と言われました。最近は、特殊な人だけが貧困に陥るわけではないとも。政治の責任と言うことでしょう。しかし、政治を動かすのも私たち一人一人。

 静かな年の瀬の夜は更けました。新年には、少しでも明るい兆しがあることをー皆が互いに思いやり、支え合う社会になるようにー祈りつつ、眠ることにします。

 

 

 

 

 
 

 
by yoshikos11 | 2008-12-27 03:02 | Comments(0)

GCC ウェブサイト・リニューアル!

 2時間ほど前にGCCのウェブサイトが新しくなりました! ぜひ、皆さん覗いてみて下さい。まず、画像のイメージ写真から、何か「癒し」と「安心感」を感じとっていただければうれしいです。

 ウェブサイトを刷新し、気持も新たに新年を迎えられそうです。2009年も、カウンセリングと講座の更なる充実に務めて行きたいと思っていますので、ぜひ、GCCをよろしくお願いします。

 ウェブサイト制作にあたっては、かつて私が、ブランド・ビジネスに携わっていた頃からお付合いのある、20年来の仕事仲間、TSさんにお願いしました。
 あれやこれや追われて、ウェブ用の原稿も中々書けなかった私を、TSさんが、叱咤激励、引っ張って行って下さったおかげで、年内に仕上がりました。

 どうやら、周囲で押したり、引っ張ったりしてくださる方々があって、初めて私のエンジンは始動するようです。来年も、大勢の方々に支えられて少しでも、世のため人のためになることをやっていければと念じています!

 

 

 
 
 
 

 
by yoshikos11 | 2008-12-27 01:50 | Comments(0)

エンパシー(empathy)

 グリーフ・カウンセラーの最も大切な資質に、「エンパシー」ということが上げられます。この言葉を日本語で置き換えるのは中々難しく、強いて言えば、「共感」とか「思いやり」などがそれに当たるのかと思います。

 英語では、エンパシーのことを「相手の靴に自分の足を突っ込む」と定義していますが、相手の世界に入り込むという意味でしょう。ほとんど相手になりきって、相手の気持、思い、痛みを経験するとも言えます。

 そのためには、日頃から、他者の痛みなどを敏感に思いやり、想像力もたくましく訓練する必要があり、エンパシーはそう簡単なことではないと誰しも思います。

 しかし、ここでは、人間が随分幼いときからエンパシーを持っていると言う話をしたいのです。私の2歳の孫(僕)の話がその一つの事例です。

 2歳の誕生日の少し前、僕は、パパとママと一緒にテレビを見ていました。番組は野生の猿について「親猿とはぐれた小猿」のドキュメンタリーでした。小猿は必死で山中、親猿を探しまわりますが、どこにも見つかりません。疲れ果て、お腹がすいて薮の中でうずくまっています。

 ママが「お猿さんかわいそうだね。お腹が空いてもミルクももらえないね。早くお猿さんのママが見つかるといいね」などと僕に話かけました。僕「お猿さんのママは、どこにいっちゃったの。早く来て」と心配そう。
 次の瞬間、シーンは変わり、次の日に。山には雨がシトシト降っています。ふと見ると、道の端に、トゲや尖った枝などで傷つき、血だらけになった小猿が、雨にずぶぬれになって震えて転がっています。

 それを見た僕は、突然、絶叫とも言えるスゴい声を出して「わあっ〜」と泣き出してしまいました。そして「お猿さんのママ、早く来て〜早く来て」と泣きじゃくります。

 パパとママは、僕のあまりにも激しい反応にあっけに取られたそうです。この番組がこれほど生々しいものとは想像しなかったので、幼子にショックを与えたことに大変反省をしたとも言っていました。

 この話をママ(私の娘)から聞いたとき、2歳の孫が、自分は安全で、パパやママの深い愛情に包まれて、何不自由なく育てられているのに、小猿の可哀想な境遇にそこまで、エンパシーできるのかと、驚いたと同時に、感動もしました。

 生まれながらにして、人は、このようにエンパシーのシード(種)を持っているのでしょうか。そうだとしたら、そのシードを大切に育てて行きたいものです。
 


 
by yoshikos11 | 2008-12-25 13:15 | Comments(0)

寛容なる多神教

 「メリー・クリスマス!」について、こんなメッセージを安心してブログで送れるのも、日本だからなのだと痛感しています。

 実は、アメリカ、カナダから到着するクリスマス・カードには「メリー・クリスマス」のメッセージが本当にめったにないのです。たいては「ホリデー・グリーティングス(Holiday Greetings)」と書いてあります。「良い休暇を」ってことですね。

 北米の公立校では、特定の宗教のお祝いをすることを固く禁止しています。
もちろん、クリスマスも含めて。

 なぜなら、あらゆる宗教的バックグラウンドの子供たちが集まっているため、たとえ世界的に有名なクリスマスと言えども、教育現場への導入には慎重なのです。

 下手すると、特定な宗教を子供に強制すると見なされて、「信仰の自由」に触れてしまうと言う問題があります。

 とはいえ、あらゆる宗教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、仏教など、全ての宗教を公平に教えたり、祝うなど不可能なことでしょう。

 もちろん、大人の世界も同様で、相手の宗教が分らないまま不用意に「メリー・クリスマス」とは挨拶できないと言う意識が互いにあります。
 最も、私がカナダで出会った人々はクリスチャンが多かったので、昔ながらに、クリスマスの伝統を踏襲していましたし、イブのターキー・ディナーにも招かれました。

 さて、日本の良さは、天真爛漫というか、寛容というか、どの神様のお祝いごとも『喜ばしい』と受入れて文化の一部に導入してしまうところでしょうか?

 日本の宗教が多神教と決めつけてしまって良いのかは、躊躇がありますが、確かに、新年には神社で初詣、ご法事はお寺で、結婚式は教会で、クリスマスにはツリーを飾って、という具合に色々な神様に礼を尽くしていることには違いありません。

 それは、良く言えば日本人の宗教的「寛大さ」、悪く言えば(特に一神教の人たちの目には)宗教的「無節操」とも取られかねないかもしれません。

 

 
by yoshikos11 | 2008-12-23 12:17 | Comments(0)

静けさ・クリスマス

 ブログを読んで下さる方々へ、

 メリー・クリスマス!!
 クリスマスの静けさと平和を皆さんの心へお届けしたいです。

 今年も、やっと50通あまりのクリスマス・カードを今日発送完了しました。海外向けが主ですが、親しい友人、最近は会うことのない旧友たちや親戚も含めて、一年に一度がんばって手書きのメッセージを添えて送ります。

 カードは、毎年「静けさ」を感じさせる雪景色、自然のものと決めています。皆へ同じものを出します。下の写真は、過去、4年間、私が使ったカード集です。実物はもう少し艶がありきれいなのですが、写真では少しぼやけてしまいました。

 カードはアメリカで調達、バルクで買うと格安なのです。一通100円しません。
ちょっと今日は、肩こりが。。。でも、年末の一仕事を終えてややほっとしました。

 次は、年賀状が待っていますが、一息いれたいですね。こちらは、ギリギリになりそう。
 
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by yoshikos11 | 2008-12-20 00:51 | Comments(0)

勇気ある女性・ジンバブエ編

 今年、9月にIWGの会議に参加し、ジンバブエでソーシャルワーカーとして27年間、働いてきた女性、ヴァレリー(英国出身)と出会い、貴重な経験談を聞くことができました。独裁政治のもと、耐えることのない政変、エイズの蔓延などで親を亡くした不幸な子供たちを、ヴァレリーは支え続けてきました。

 私にとって馴染みの薄いジンバブエでしたが、その悲惨極まりない状況は、日本の常識では想像外でした。ヴァレリーとの出会いにより、以来、この国についての新聞記事などに目を引かれるようになりました。

 最近のThe Times紙に、ジンバブエの女性で、政治活動家のことが大きく取り上げられていました。ジェニ−・ウィリアムス(Jenni Williams)と言うアフリカ人の話題です。
 現在、この国では、コレラが蔓延、既に多くの死者が出たことをきっかけに、ジェニーは、無策無能な政府に怒りをぶつけ「反政府」デモを強行。デモには、多くの女性が参加したそうです。彼女らはビラ配りをしてあっという間に皆姿を消したとのこと。

 独裁者、ムガベ大統領のもと、言論の自由は弾圧され、外国のメディアもシャットアウトされています。そんな状況下で反政府デモが如何にリスキーか容易に想像できます。ジェニーは既に、32回投獄されたそうです。
 それでも彼女は、諦めません。国民の人権擁護の為に、果敢に闘い続けているのです。彼女の身内は英国に避難していますが、ジェニーは何時の日か、ジンバブエで子供たちと共に、幸せに暮らせることを切望しその為に闘っているとのこと。

 「ジンバブエを『人が暮らせる』場所にしたいのです。人権擁護の灯火を絶やさず、この国の不正を世界中に知ってもらいたい」と彼女は言います。

 自分の名誉や地位の為でなく、大勢の同胞のために身を挺して誰かが動くとき、社会は次第に変革していくのでしょう。

 バレリー、そしてジェニー、二人のヒーローにエールを送りたいです。日本も現在、政治が混迷し、先の見えない不安に包まれていますが、スゴい女性パワーの話題に勇気をもらう昨今です。

 

 

 

 
by yoshikos11 | 2008-12-19 13:56 | Comments(0)

勇気ある女性

 フォト・ジャーナリスト大藪順子さんは、「Stand-立ち上がる選択」と言う著書で、彼女自身のレイプの被害体験を記しています。実に、勇気ある女性です。
 彼女は、アメリカの大学を卒業、その後、シカゴ近郊の田舎町で地方紙の記者として働いていましたが、今から8年前、レイプ被害にあいました。犯人は3日後に逮捕され、また、その後の裁判でアメリカでは異例な長期刑, 20年の判決が出たそうです。

 レイプの被害者は、長い間トラウマに苦しみますが、性に関わる犯罪と言う事から恥の意識もあって、泣き寝入りをする人が多いと言われます。レイプは、加害者が悪いにも関わらず、なぜか、被害者が、周囲にも話せないことで孤独な苦闘を強いられると言う、たいへん理不尽なところがあります。
 
 大藪さんの苦しみも筆舌に尽くし難いものだったことでしょう。特につらく、悔しかったこととして、「レイプ前の楽観的で明るい性格の自分が、一夜にして変えられてしまったこと、恐怖心で自由を奪われてしまったこと」などを語っています。

 自分が一夜にして変えられてしまう経験、まぎれもない大きな喪失であり、「まるで愛する人を失ったような悲しさ」とも言っています。

 しかし、そこから彼女は立ち上がりました。しかも、単に、自分の悔しさを晴らすためだけでなく、この世にレイプが広がらないために、自分の被害について語り、勇気をもって裁判に持ち込んだのでした。

 その後、彼女は、アメリカ、カナダの「レイプ・サバイバー」たちを取材してまわり、70名の人たちの写真を取りました。その写真が全米各地で展示され、多くの人に「レイプ撲滅」のメッセージを送りました。
 米国のテレビで彼女のドキュメンタリー「もう恐れない、女性への暴力をとめよう」が紹介されることにもなりました。

 日本人女性が、アメリカで文化や人種の壁を乗りこえて、ここまで闘ったことの素晴らしさに感嘆して、大藪さんの勇気と力に大喝采を送りたいです! 彼女のこうした行動が、同じ経験をした被害者たちに、どんなにか励ましになったことでしょうか。




 
by yoshikos11 | 2008-12-19 04:20 | Comments(0)

与える心ークリスマス

 そもそも、クリスマス物語は、豪華な食事やケーキ、華やかなパーティやドレスとは全く縁遠い話です。聖家族は、旅先の寒空に泊まる宿もなく、とうとう一夜を馬小屋で過ごすというシナリオなのですから。救い主イエス・キリストは馬小屋で産声を上げました。
 そして、イエスはその生涯を通して、貧しい人、苦しむ人、悲しむ人の友となったのでした。

 クリスマスまで後、一週間。年の暮れと言うのに、仕事を失って住む家まで失う人たちが大勢いると報道は伝えます。人は、雨風や寒さから身を守る家がなければ生きていかれません。馬小屋でもないよりは「まし」と言う事になってしまいます。

 そんな状況を知れば知る程、クリスマスやお正月だからと言って、浮かれた気分にはとてもなれませんね。格差社会と言われて久しいですが、今の「貧困」は個人の責任や努力ではどうにもならない、社会構造の問題と言われています。

 同じ人間として生まれながら、ある人は、ぬくぬくと優雅な家に住み、美酒美食ざんまい(TVのグルメ探求は行き過ぎ!)、ある人は寒さを凌ぐ屋根もなく、その日の食事にもことかく。何かがおかしいと思わないではいられません。

 もはや、政治にだけ任せていられない気がします。せめて私たち一人一人がクリスマスの本当の心、「自分にとって大切なものを他者に与える」と言うメッセージを、真剣に考える必要があると思います。

 クリスマス・カードが何通か届きました。今年は、エンジェルのカードがなぜか多いようです。2000年以上前のベツレヘム。天からエンジェルが降りて来て、貧しい羊飼いらに、「今宵、救世主がお生まれになりました」と告げます。

 経済危機、リストラ、失業、社会の荒廃、この試練の時期にエンジェルが降りて来て、グッドニュースを告げてくれないかしら、そう願う人が多いと言うことかもしれません。
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by yoshikos11 | 2008-12-17 01:03 | Comments(0)

母さんが編んでくれた手袋

 土曜日は北風が吹いて冬の訪れを体感しました。そして、今日は、日曜日。朝から雨がしとしとと。この時期の雨は何となく「うら寂しい」感じがします。うっかり、手袋を忘れて外出し、傘を持つ手がかじかんでしまいました。

 先日, 旧友にシャンソンのコンサートに誘われました。若い方たちには、シャンソンと言っても馴染みがないでしょう。
 出口美穂さんと言うシャンソン歌手、この道40年だそうですが、彼女の歌には年を重ねた人ならではの味わい深いものがあり、すっかり満喫しました。
 プログラムの中には、なつかしい童謡、「母さんが夜なべして、手袋を編んでくれた。。。」という歌などもありました。

 今朝、歩きながらかじかんだ手をさすり、先日聞いたばかりの「母さんが夜なべして。。。」を口ずさみそうになりました!最近では、「夜なべ」などという言葉は聞かなくなりましたが。

 つい先週くらいまで、遅い紅葉を楽しめたのですが、さすがに、北風が都会の楓やポプラの葉を一挙に吹き飛ばしてしまったようです。

 夕方になり、雨がようやく上がって、青空が顔を出しました。丁度、通りすがった四ッ谷の土手、見上げると、すっかり葉の落ちた桜の黒いシルエットが、空に映えて、美しくもあり、雄々しくもあり。

 いつか、誰だったかが言っていました。年を重ねるに従って、花咲く樹木よりも、緑深い葉っぱよりも、枯れ木に親しみと、風情を感じるとか。何となく分る気がします。出口美穂さんの歌のように。(いや、まだ、彼女は枯れ木ではなくゲンエキですが!)
 
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by yoshikos11 | 2008-12-14 20:34 | Comments(0)

大切な情報の共有

 暮れも押し迫り、今年も「喪中はがき」を何通か受け取りましたが、そこで初めて知人が、お身内を亡くなられたことを知ることが増えたようです。あるいは、何ヶ月も経ってから偶然に、誰かから「ええ、知らなかったの?」と言って知らされることも。

 そんな時には、なんだか知らないでいたことや、お悔やみも遅れてしまったことについて、自分が悪いような、申し訳ないような気持になるのです。

 特に、相手が私の身内の死に際しては、鄭重に葬儀に参列して下さったり、お供えを下さったりしていた場合、余計にそんな気持がつのります。そこで、取るものも取り敢えず、お悔やみ状をしたためる、お供えを手配するなど慌てることに。

 このことで、相手を責める気持など全くありません。なぜなら、色々な事情が想像できるからです。身内の死は誰にとっても頭が真っ白になる衝撃、とっさに誰に告知すべきかなどとても冷静に判断できない。あるいは、出来るだけ、そっとしておいて欲しい、「おおごと」にしたくない、などなど、それはそれは複雑な思いが色々あると察せられます。

 また、現代人は皆忙しいという前提で、できるだけ人様をお騒がせしたくない、煩わせたくない、と言う思いやりの気持もあって、ひっそりと「密葬」にしたと言う方も、最近では増えているようです。(特に、亡くなった方が高齢の場合など)

 しかし、この事について多少思う所があります。実は、葬儀には色々大切な意味があることを(今更言うのもおかしいですが)再考する必要を感じるからです。

 葬儀は、単に悲しいイベントではありえませんし、遺族が遠慮勝ちになる類いのことでもありえません。遺族は、この瞬間から「喪に服す」ことを世に公表し、正式にグリーフすることの許可を皆からもらう。参列者は、お悔やみや、支援したい気持を表すと言うたいへん大切な「社会的」意味があります。

 そして、最も大切なことは、葬儀で私たちは「命に限りがあること」や「人の哀れ」を痛感し、にもかかわらず、或いは、だからこそ、互いに支え合って、思いやって生きなければと、皆が感じることではないでしょうか?

 いくら現代人が忙しいと言っても、人の生や死を二の次三の次にすると言う話はありえないし、それくらい大切なことはそれなりの注目があってしかるべきでしょう。正直に言って、「子供には、できるだけ『直ぐ』に身内の死を伝える」というポイントは、大人にも共通することではと思いました。


 
 

 

 

 
by yoshikos11 | 2008-12-12 13:55 | Comments(0)