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英国映画 ある公爵夫人の生涯

 時には仕事の専門分野とはおよそ関係なさそうな映画をただ娯楽として見に行きたくなります。その一つが昨日見た「ある公爵夫人の生涯」です。英国の美しい田園風景や素晴らしいお城、そして優雅な貴族社会の生活に目の保養をしてきました。

 主人公の伯爵夫人、ジョージナは歴史上もその名を世に残した社交界の花であり、ファッションリーダーであり、政治のキャンペーンにも一役かったしっかり者、セレブ中のセレブです。ジョージナを演じるキーラ・ナイトレイは目を見張るほどの美しさでした。
 ジョージナの美貌とチャームは周囲の男性たちの憧れの的だったと言われますが、悲劇は彼女を唯一愛さなかった男性がご主人のウィリアム公爵というわけです。(ジョージナが亡きダイアナ妃と比較される由縁で、実は同じスペンサー家の出身)

 外見の華やかさとは裏腹に彼女の私生活は心痛が耐えません。夫ウィリアムは地位も名誉もある有力者ですが、女性は世継ぎを生ませるマシーン(そのような発言をした大臣が現代の日本にもいましたが)かセックスの対象としか考えていない、いわば人を愛することを知らない男なのです。

 身勝手なウィリアムはジョージナの唯一の親友エリザベスを妾にしてしまい、3人が一つ屋根の下に同棲するというジョージナにとっては屈辱と苦痛の私生活が始るのです。現代に生きる私たちには信じられない光景ですが。
 そんな日々、彼女は初恋の人と再会し愛が再熱します。彼女は夫に「貴方とエリザベスの関係を許すから、私の恋愛も許して」と駆け引きをしますが、「お前には駆け引きの権利なんかない」と一笑に付されてしまいます。(彼女の恋人は後に英国首相になったチャールズ・グレイという大物でした)

 波瀾万丈のジョージナの物語はまさに実話は小説よりも奇なりで、筋を追うだけでも忙しい。そんな彼女を支えたのは子どもたちへの愛だったようです。待望の世継ぎ、男児を出産してからはウィリアムの気持も次第にほぐれて妻への態度が少し和らぐ兆しが見えて映画は終わります。

 英国の歴史や美しい風景、クラシック・ファッションや犬がお好きな方にはお薦めの作品です。アカデミー賞衣装部門でオスカーを取得しています。

 

 

 

 
by yoshikos11 | 2009-04-27 22:43 | Comments(0)

貧しかった日本、でも幸せだった子どものころ

 私が小学校低学年だった時代は、日本が戦争に負けて間もないころ。それはそれは貧しい時代でした。親たちは日々の食糧を得るのに必死でした。卵やお砂糖などは貴重品でした。チョコレートなど口にしたのは戦後何年か経っていたと思います。

 市ヶ谷に住んでいましたが、父は家庭菜園をし、母は鉄鍋でパンを焼いていました。特に、コーンブレッドが美味しかった。小麦粉がないのでコーンの粉を代用したに過ぎないのですがいけました。自給自足の時代でもありました。

 おもちゃなんてありませんでした。紙の着せ替え人形を自作して飽きずに遊んでいました。家に大人の自転車があったので、友だちと家の近所で乗り回していました。当時は車なんかめったに通らないので子どもは町中が遊び場で走り放題でした。

 熱を出して寝込んだことがありましたが、そのとき母が初めて本を買って来てくれました。「不思議な国のアリス」でした。用紙はザラザラして灰色、印刷も安っぽくて実に租末な本でしたが、うれしくて何回も読んだことを今でも覚えています。

 生きることに精一杯だった親たちは、かけたくても子どもに手をかける暇もなく、やむなく放任主義だった気がします。大人に「かまってもらえない」のが当たり前と子どもながらに思っていました。そのせいで、自分で楽しむことも考えて身につけました。ぜいたくは何もなかったけれど、自由で気楽でハッピーな子ども時代だったと思います。

 さて、今はあの頃に比べて日本は物質的には月とスッポン。むしろ豊か過ぎて恐ろしいほどですね。次々と開発されるスナック菓子や甘いお菓子の山。遊び道具は?ファミコンやゲームや携帯ネットや新しいおもちゃに溢れています。子どもは有り余るチョイスに選ぶのに困るほどです。

 それでは、今の子どもは貧しかった私の子ども時代と比べて果たして幸せなのかとフッと思うことがあります。一つ言えることは「物はなくても子どもは幸せになれる」ということです。今の若い方々には難解かもしれませんが。



 貧しかったかつての日本、しかし、子どもはあの頃の方が幸せだったような気がします。

 
 
 

 

 
by yoshikos11 | 2009-04-25 17:15 | Comments(0)

かつて子どもだった頃

 昨晩のGCC講座基礎篇では「子どもと死」というテーマで講義をしました。とかく「子どもには死について話しても分らないのでは?」とか、「子どもにはショックが強過ぎるから、身内の葬儀に参加させない方が良いのでは?」とか言われます。

しかし、専門家たちはそうした大人の偏見に真っ向から反論しています。「子どもから死の問題を伏せたり、隠したりしても彼らの環境にはこのテーマが溢れているではないか?」ペットや金魚の死は日常触れることであり、他にもテレビや映画、コミックや童話の本にいたるまで直接間接に死を扱っているわけです。

とするならば、良いタイミングをとらえて子どもの年齢、理解力に応じて大人は正直に教えてあげるべきだと言うのです。子どもには年齢なりに理解力があり、むしろ、教えられないことで死について勝手な空想を膨らませ(死は恐ろしいモンスターと思ってしまうなど)一層不安がったり、怖がったりします。

もし、子どもに死について話さないようにしている大人がいるとしたら、むしろその人が死に対して何らかの偏見を持っているか、恐れや不安を抱いていると言われます。いわば、子どもと向合う大人は自分を試されることになるのですね。
 子どもは真っ白な心を持っているので彼らには偏見などないはずなのに、むしろ大人が不自然な言動から彼らに偏見を植え付けてしまうことになります。

昨晩、クラスでは受講生の皆さんが「かつて子どもだった頃」を思い出して、今回のテーマについて色々貴重な意見をかわして下さいました。

ある方は「今日の講義を聞いて、これまで気がつかなかった子ども時代のモヤモヤした気持が今、解消してすっきりしました」と。また、ある方は「子どもの頃、悪いことをすると死ぬぞ」と親に脅かされていたことで、死は悪いことと思ってしまった」と話しくださいました。

もはや子どもの心を取り返すことは出来ませんが、時にはかつての自分にかえって物事を見直してみるのも良いのではないでしょうか? そして今、子どもとじっくり向合って対話することで大人が新鮮な再発見をすることが沢山あるように思われます。

私のサイトもよろしく:http//:www.gcctokyo.com
by yoshikos11 | 2009-04-24 12:41 | Comments(0)

社会が病んでいる、救いはどこに

この度「日本自殺予防学会」へ参加して、幼い子どもの自殺の事例について、また思春期の若者の自傷や自殺の背景について専門家の先生方の講演を幾つか聞きました。いずれも、何ともやりきれない気持にさせられました。

というのは、彼らの死の背後には「家庭崩壊」の状況が見え隠れするからでした。もちろん、自殺の原因は多面的であり唯一「これ」と短絡的に特定はできないと言われますが、子どものこうした悲劇については、大人の責任が極めて大きいと思わずにはいられません。

何らかの理由で「家庭崩壊」の犠牲になった子どもたちは「愛情」や「安心感」の基盤を失います。それが人間にとって、特にまだ自己確立もできていない子どもや若者にとって如何に不安で「生きづらい」状況であるかは想像に固くありません。

そのような子どもは人を当てにしたり、頼ったりできないと思っているので、何か問題を抱えると一人で悩みどんどん追い込まれてしまい、ついには自殺ということもあり得るのでしょう。

一方で、大人の社会が抱えている問題には過重労働などによる不眠症、アルコール依存、うつ病という自殺への「トライアングル・危険因子」があると言われます。トライアングルが家庭崩壊へのプロセスをたどるとは多いにありうることでしょう。

どこかで大人が治癒されないことには、子どもの悲劇は減らないのではないでしょうか?社会が病んでいては健全な子どもの発達や成長が期待出来ません。社会そのものが癒されるにはどうしたら良いのでしょうか?

全国各地の自治体が自殺予防の様々な取り組みをしていることは良い兆しですが、しかし、根深い問題であり、そう簡単には改善策があろうとも思えないのが正直な感想です。

偶然とはいえ、帰路に立ち寄った京都の高山寺で明恵上人と出会ったのも何かの縁、いにしえの高僧から今精神の危機にある私たちは何か学べないのかと、フッと思ったのでした。

(現在、私のHPでは、心の癒しに効果があると言われている「ハープ(竪琴)セラピー」講演会のご案内中です。ぜひ覗いてみてください! http//www.gcctokyo.com )
by yoshikos11 | 2009-04-23 03:47 | Comments(0)

京都 奥高雄に遊ぶ

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金曜日、土曜日と大阪で「日本自殺予防学会」があり参加してきました。精神科医、セラピスト、カウンセラー、命の電話相談員,保健士さんなど全国から多数集まり、熱気溢れる講演、発表があり2日間にわたり朝9時から夕方4時半までばっちりブレーンストームされました。

かなりタイト・スケジュールでしたし、考えさせられることが多々あり正直、少し疲れました。もちろん、素晴らしい先生方にお会いできて、ネットワーキングのまたとない機会を持てたのでたいへん有意義な2日間ではありましたが。

帰路の日曜日は、大阪の旧友に付き合ってもらって京都で一日息抜きをすることにしました。好天に恵まれ、とても爽やかなこの日は、まさに最高の行楽日和になりました。そして、幸運にも、京都の北西部、高雄の奥に位置する栂尾山ー高山寺見学ツアー(京都文化ネットワーク主催)に参加することが出来ました。

栂尾山の樹々は一斉に芽を吹き出し、パステル調のやさしいグリーンに映えてエネルギーが溢れているようでした。所々八重桜や山ツツジのピンクが彩りを添えて心を和ませてくれました。

高山寺は世界遺産にも指定されており、ここの石水院は、明恵上人の庵室として知られ、平安時代の素朴で力強い建築美が今に伝えられています。ほかに鳥獣戯画でも有名です。

庵室に座って明恵上人についてのお話をお坊さまから伺い、外からの春風に吹かれていると何やら古い時代にタイムスリップするようで、気持がホッとしました。お薄と上品なお菓子を饗されてその後、山深い敷地内にある茶室、境内、本堂などを見学しつつ散策し、森林浴も楽しんで帰路につきました。

久々に東京の町の雑踏を離れて、伝統の美しさと自然に恵まれた京都に遊ぶ、こんな時間が実に貴重に思えた一日でした。
by yoshikos11 | 2009-04-20 01:29 | Comments(0)

都心のビル建設と危険



今朝、麹町の大通りで、ビル建設現場の長いクレーンが横転するという恐ろしい事故が起こりました。作業員の人や、たまたま通りすがったトラックのドライバー、通行中の歩行者が大けがをしたそうで痛ましいことです。あんな物体が天から降って来たらひとたまりもありませんね。

私はこの大通りをよく歩くので他人ごととは思えずヒヤッとしました。日曜日にも通りすがりましが、クレーンの作業をやっている所があり(今日の事故とは別のビルですが)頭上で吊るし上げられた重そうな鉄板を見ながら、何となく「不安」な気分で急ぎ足で通り過ぎました。

「通って下さい」と警備の人に促されましたが、思わず「こう言う場所の下を通るのって、怖いのよね」と一言声をかけたら「本当にそうでしょうね」という返事が返って来ました。この大通りには老朽化したビルが多いせいか至るところで解体、建築が行われており、まさに、再建設ラッシュです。

と言うことは、この界隈は危険だらけなのですね。今日の大事故は、私が日頃「怖い」と思っていたことが現実になったわけで「やっぱり」と思わずにはいられません。タクシーの運転手さんが「都心には怖い建築現場が実に多いですよ。何か起きても不思議はないくらいです」と言っていたことも思い出します。

先日山中の標示「落石注意」について書きましたが、麹町の市中にも「危険物落下注意」と表示する必要があるかもしれません。

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by yoshikos11 | 2009-04-15 00:14 | Comments(0)

イースター・エッグ

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午後からすっかり晴れて今日はイースター・サンデー。イースターと言えばカラフルなエッグを思い出します。以前はお菓子屋さんでチョコレートのイースター・エッグなども売っていた記憶ですが、今回近所の店を覗いてみましたがありませんでした。

どうやら日本ではチョコレートのシーズンはバレンタイン・デーに集中しているのでしょう。写真は先日英国から来られたお客様より、一足早くいただいたイースター・チョコです。カラフルなフォイルに包まれたチョコは小粒ながら色によって中のフィリングが違うのでいただくのが楽しみです。
プラリネ、チェリー、シャンペンなんかも入っているらしい。

写真だけで味わっていただけず残念です。

私のサイトもよろしく:http//:www.gcctokyo
by yoshikos11 | 2009-04-12 14:26 | Comments(0)

GCCグリーフ(死別悲嘆)第3回一日講座

 今年2月よりスタ−トしたGCCの一日講座(入門篇)も3回目を迎え、昨日は小グループながら活気溢れる授業を持つことができました。ご参加くださった方々に感謝します。

 講座では初めて顔をあわせる方々が出来るだけ緊張をほぐし、打ち解けて講義を受けて下さるように最初に一人5分間づつ自己紹介をお願いしています。
 参加者の多くは死別体験をされていますが、なかなか外で話せないつらい気持なども、自己紹介や講義の途中で、時間の許す限り分かち合っていただくようにしています。

 講座の内容は大学院レベルのアカデミックなものですが、グリーフ・スタディに限っては自分の喪失体験に照らして理解する面が多々あるので、参加者が心を開いてご自身の経験や気持をお話くださることで全員が理解を深めることになり、講師もたいへん話が進めやすくなります。

 その意味で「オープン・マインド」の方々が多いと全体が活気に満ちた授業になります。講師である私も乗りが良くなります。昨日は多いに乗せられました。

 外の世界では傷みや涙はあまり歓迎されませんが、GCCの講座では逆なのです。尊い涙をいっぱい流して下さってOKです!

 

 
by yoshikos11 | 2009-04-12 14:04 | Comments(0)

春、イースターもまぢかに

 今週は一挙に春めいて、ついこの間までの花冷えがうそのようです。ちじこまっていた背筋を伸ばして心地よい春風に吹かれて外を歩くとき、それだけで幸せな気分になります。この凌ぎよい陽気がしばらく続くといいのですが。人間の気持ッて気候に左右されますね。

 ちょうど春も訪れて、今週の日曜日(12日)はイースターです。教会ではクリスマスと同じくらい大切な祝祭日です。イエス・キリストが十字架に付けられ死んだのが金曜日、そして日曜日に甦って弟子たちの前に現れた。その甦りを祝うのがイースター(復活祭)というわけです。

 クリスマスと違ってイースターは毎年日が違います。春分の後の満月の次の日曜日と定められているからです。イエスの復活は歴史的事実として、科学実証的に証明できないことから真実かそうでないか論争もあります。

 しかし、信じることによって良いこともあると思います。死んだイエスが復活したなら、私たちの大切な人が亡くなったとしても、彼らの魂は生き返ってどこかで新たな生を続けている、そう思えるのではないでしょうか?

 信仰とは証明されていようがいまいが「そうあって欲しい」と願うことだと言った哲学者がいましたが、私たちには「人の魂の永遠を信じる」選択もあれば「信じない」選択もあるわけです。大切な人を亡くした者は恐らく前者の選択をするように思います。(宗教に深く関わるか否かは関係なく)

 その意味で、イースターの日は最愛の故人といつか又会えるという希望を新たに、ハッピーな気分で過ごしたいと思います。

 
by yoshikos11 | 2009-04-10 00:32 | Comments(0)

デポドンなんのその

 前回デポドンが頭上を飛んで行ったことで何となく不愉快だったと書きましたが、実際には秋田県と岩手県の上を通り過ぎたので、東京に住む私はオーバー・リアクションだったのかもしれません。

 テレビで取材された秋田のお百姓さんが「こんな事くらいでビクビクしたってしょうがない。普通に農作業をやってます」と日焼けした顔をニコニコほころばせて語っていました。
 農耕民族は狩猟民族や遊牧民族に比較して「おっとり」しているなどと言われていますが、ふっとそんなところにも日本人の寛大さのルーツあるのかなあと考えさせられました。

 確かに弾道ミサイルの破片でなくても自然災害などはどこにでも、いつでも起こりうるのですからこのお百姓さんが言う通り、頭上から何がが落ちて来るのではないかなどと心配しながら毎日外を歩いていたら身が持ちませんね。

 私は地下鉄利用が多いのですが、大江戸線六本木駅は地上に上がるまで7−8分かかります。エスカレーターで延々と上って行かねばなりません。あるとき若い女性が
「今、地震が起きたらどうなるんのだろう?」とお連れさんと話していました。

 私も丁度同じ事を思っていたのです。それで一時は、六本木へ行くときは日比谷線利用に変えたり、青山一丁目から歩くことにしていました。しかしそれも時間とのせめぎ合い、最近は地震の心配は止めることにして大江戸線にも乗っています。

 日本人の寛大さ、ある意味で「さとり」のようにも思え美徳かもしれません。しかし、国際社会の凌ぎ合いでは損をすることもある。出る所へ出たら毅然として
「怒り」を表す事も大切なのでしょう。

 ブログを読んで下さった方、できたら私のサイトも一度覗いてみて下さいね。
http//:www.gcctokyo.com
by yoshikos11 | 2009-04-07 11:51 | Comments(0)