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引越・ナラティブ・ディグニティ・セラピー(忙中間)

 f0101220_15474927.jpgいよいよ明日から2月、私は中旬に引越をする予定で今、かなり煩雑な日々を強いられています。原稿と論文を2~3抱えて締め切りを気にしながら、その合間を縫って所持品の整理と梱包をしています。そんなわけで、ブログはご無沙汰になり勝ちです。
 先日、出張所で転出届けを提出しましたが「筆頭主」を記入する欄がありはたと考えてしまいました。夫は亡くなっているので誰を書くのだろうかと。。。いや、筆頭主とは半永久的に引き継ぐのですね。久々に夫の氏名を公の書類に書いて何だかうれしい気分でした!
 1月23日、GCCトレーニングコース第4回目は、講師にナラティブ・セラピーの日本での第一人者、小森康永先生(精神腫瘍学の専門家)をお招きして実施しました。小森先生はナラティブの提唱者マイケル・ホワイトに師事され、ホワイトの訳本をはじめ、この分野の図書を多数出されています。世界各地でホワイトのワークショップに参加されたとのこと、ニーメヤー先生を各地に追っかけ師事を仰いだ私は、何だか小森先生に親近感を覚えました。
 当日の講演で、受講生たちが感じたことは、さすがナラティブの専門家、お話がシームレスで幾つものテーマを扱いながら、全体が川の流れのようで無理がなく、安心して引き込まれたと言うことでした。ナラティブ・セラピーと言えば用語重視、小森先生はその手本を示してくださったと思いました。
 一方、多才な先生は、現在、関心と興味が次のテーマ、ディグニティ・セラピーへと移行したとのこと。贅沢なことに、ナラティブに加えて、ディグニティ・セラピーについても合わせて講義していただきました。このセラピーは、緩和ケア病棟の患者さんを対象とし、患者さんが生涯を振返り、総括し、そこで得た人生の知恵などを家族に遺す、その為に幾つかの主要な質問をセラピストが投げかけ、聴き取って編集するというものです。その普及はまだこれからだそうですが、世を去るものにとっても、世に遺されるものにとっても、そうした記録は、たいへん貴重であると思いました。
 多忙な現代人にとって、立ち止まって人生を振返るなど、中々難しいのですが、本来は死期の迫ったときでなくても、ディグニティ・セラピーを折々受けたら、人生をもっと賢く、豊かに生きられるのではとも思いました。

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by yoshikos11 | 2010-01-31 16:01 | Comments(0)

劇団四季「EVITA」

 マドンナが主演した映画「エビータ」で一躍有名になったミュージカル・ナンバーを劇団四季が公演するということを知って友だちと鑑賞してきました。
 シアターがあるエリア(汐留のはずれ)に始めて足を踏み入れましたが、元々倉庫街だったのか、周辺は殺風景で寒々しい感じでした。夕暮れ時にシアターの灯りだけが妙に赤々として不思議なコントラスト、別世界に連れて行ってくれる劇場内に、早く入りたいと思わせるようでした。

 エビータは、エヴァ・ペロン、元アルゼンチン大統領夫人の愛称であり、彼女の数奇な運命の実話に基づいています。彼女は、アルゼンチンの寒村に生まれ、それも私生児ということで父親の葬式にも出席を拒否されたと言う悲しい運命を背負った田舎娘でした。
 しかし、立身出世の夢が人一倍強く首都、ベノスアイレスへ移り住みます。天性の美貌をフルに生かし、男たちを次々と手玉に取って(或いは踏み台にして)現代風に言えば女子アナとなり、更に、ペロン大佐の妻の座を勝ち取ります。そして、ペロンを大統領にまでのし上げ、自分もファーストレディに治まるというシンデレラ・ストーリー/プラス・アルファの嘘のような、実話です。

 ファーストレディの座についてからは、労働者階級の福祉をミッションに掲げ、エビータ・ファンドと称して貴族や富裕層から富を奪い取り(権力を利用しほとんど脅迫的なやり方で)貧困層にばらまき、民衆の心を虜にします。彼女をサンタ・エビータ(聖女エビータ)とまで呼ばせる一方、没収した富の一部はちゃっかりスイスの銀行に預け、私服をこらしていたり、過激なやり方は当然、敵も作り批判も浴びます。

 原作者、ティム・ライスがエヴァ・ペロンに興味を持ったのは、人生を一生懸命生き過ぎた結果、やりすぎて、結局は落っこちてしまう(演出家、浅利慶太の言葉では「高ころび」とあり)というその点だそうです。起伏が激しいドラマティックな人生だけに、そこにはペーソスあり、おどろおどろしさあり、愛も憎しみもあり、その分、筋書きはおもしろいわけです。
 確かに、エビータはやり過ぎて落っこちたのですが、所詮、お金のばらまきで人の心を掴むのには限界があり、永遠にばらまけるものでもありません。アルゼンチンが必要としたのは、真の政治的リーダー、改革家、政策家,だったわけで、ペロン大統領も次第にその権力に陰りを見せます。

 そんな矢先にエビータはガンの末期と診断されますが、落ち目の夫を救うため、自分の病気を民衆に公表して、同情をかうことで夫の地位を引き延ばそうとします。そう言うアイディアは、俗にいう「ストリート・スマート」(教養がなく、経験だけが頼みの浅知恵?)というべきか、しかし、彼女の哀れさが真に迫って伝わるのはこの場面でした。
 そして、エビータは33歳の若さで死ぬわけですが、最後に民衆に別れの挨拶をするシーン、そこで唱う「伴にいてアルゼンティーナ」は感動的で美しい名曲です。エビータ役の野村玲子は、歌も踊りも素晴らしかったし、熱演振りは好感が持てましたが、彼女は清純派、ひと筋縄ではない野心家で、次々と男を変え利用する猛烈女性、エビータの「凄み」には迫れなかった感じです。

 しかし、日本のミュージカル、久々に鑑賞しましたが、バタ臭さを感じさせず翻訳もスムースで、出演者も皆、歌唱力に優れ、踊りも上手なのには感心しました。冬の一夜、良い息抜きができました。

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by yoshikos11 | 2010-01-24 19:18 | Comments(0)

いじめ:「十字架」つづき

 グリーフ・ケアの分野では、自殺という言葉は、遺族の気持ちを配慮して使用せず、「自死」という言葉を使うことが多いのですが、もちろん、作家、重松清はそうした専門用語を使用していません。どちらの用語を使うかについては、専門家の間でも色々議論があることも確かです。その議論は、別な機会に紹介したいと思いますが。。。

 昨日のブログでは、「十字架」を背負ったのは、運命のいたずらに翻弄された(ように見える)主人公ユウであると書きましたが、もちろん、一番重い十字架を背負ったのは、息子を亡くした両親であり、それも息子の死をきっかけに心身を病んでしまい、早死にした母親であると思われます。子を亡くした親のグリーフは、実につらく、その傷みは永遠と言われています。

 ましてや、息子がいじめにあって一人苦しんでいたとき、側にいながら気がつかなかったこと、助けてやれなかったことで、親はどんなに自分を責めたことでしょう。或いは、誰にも言えないことでも、親にだけは話せるような、そんな家庭環境でなかったことを悔いたかもしれません。

 しかし、この「いじめ」と言う行為について思ったことは、作者も様々の描写で訴えているように、子どもならずとも大人でさえ、暴力や脅しによっていかに脆弱にされ、思考まで麻痺させられ、冷静な対応能力を奪われてしまうかということです。そうでなければ、自殺したフジシュンは、恐らく誰かに(担任の先生か親に)SOSを発信したはずです。怯えによって一切の思考と行動がストップした結果、苦痛からの逃避として「死」が唯一の方法に思えたのでしょう。

 他の生徒たちも、暴力の前ではトラウマタイズし、怯えて逃げる他なかった。それを、一概に卑怯ものと呼ぶのは違う気がします。暴力は、だから恐ろしいと言えますが、そうした人間の心理を理解することで、なにか対処の知恵が浮かんで来るのかもしれません。

 また、学校の現場では、担任の先生一人に任せずに、学校カウンセラー、保健士さんなど、出来るだけ複数の大人の目を光らせて、暴力やいじめの兆しがないか、生徒たちの様子に日頃から注意し、早期発見を心がけることが大切なんだろうと思いました。フジシュンのような子も、誰か大人がちょっとした異変に気付いて、「君、何か心配ごとでもあるんじゃない?」と声をかけてやれば、急場を訴えるかもしれないですね。セーフティーネットが大切と思います。

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by yoshikos11 | 2010-01-22 03:10 | Comments(0)

重松 清著 「十字架」

 重松清の小説、「十字架」を新年早々、読みました。中学生のいじめによる自殺がテーマですが、主人公、裕(ユウ)は、今や遥か昔の思い出となった中学時代を回想して、決して忘れられないその事件のことを語ります。ユウは、いじめた側でもなければ、自殺したクラスメート藤井俊介(フジシュン)と特に親しかったわけでもありません。本来なら、距離を置けたはずの出来事にひょんなことから生涯、影響を受けることになるのです。

 それは、フジシュンが書き残した遺書に原因があります。遺書には、いじめの張本人二人に宛てて「恨んでいる、死んだら呪ってやる」と書かれたのに対して、意外にも、ユウに宛てて「親友になってくれてありがとう」とあったのです。いわばフジシュンの片思い、だが、それがとんだ迷惑な結果になります。ユウは、親友ということで、マスコミにつきまとわれ「いじめを、見て見ぬ振りをしたお前らが殺した」とののしられたり、フジシュンの家族に引き合わされて「親友なのに、なぜ、息子を守ってやれなかったのか」と、身に覚えのない理由で、フジシュンの父や弟から非難を浴びせられます。

 そこから、平穏無事だったはずのユウは,自殺遺族の苦しみとつき合わされることとなり、多感でナイーブな中学時代に、一人の生徒の力ではどうにもできない(担任の先生すらもてあました)いじめや、その結果生じたクラスメートの自殺について、次第に自責の念にかられるようになり、十字架を背負うことになります。

 小説なので、現実にはありえないのではと思うようなプロットではあります。しかし、いじめという現象の観察、分析は鋭く、また、我が子を理不尽な状況で失った親のグリーフ描写は、実に真に迫っています。作者は、こうしたいじめによる若者の自殺について、よほど多くの調査を実施ししたのではと想像されます。

 さて、作者のメイン・メッセージは何でしょうか?「人が虐待されて、苦しんでいるのを見ていながら、知っていながら、手を差し伸べずに逃げる大人が何と多いことか。中学生のいじめの現象をとらえて、何人の大人がそれを批判することができるだろうか?」ということなのでしょうか。
子どもの世界は大人の世界の縮図といいます。

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by yoshikos11 | 2010-01-21 02:03 | Comments(0)

体育会魂 その是非

 昨日のブログでは、T氏について思い出しながら、「体育会魂」に触れました。英語では、"fighting spirit" になるのでしょうか? T氏も、夫も、体育会魂に生きた人たちですが、最近ではどうやら、あまり「体育界魂」という言葉は耳にしない、流行らなくなった用語かもしれません。そうそう、最近では「草食系」の男性が増えたそうで、彼らは、「体育会系」とは対局にいるのでしょう。

 「がんばる」ということは、最近、格好わるいとされているそうですね。さて、グリーフケアの見地から言うと、最愛の人を亡くす、仕事や財産を失うなど、人生の一大喪失を経験して、悲嘆にくれ、泣き言や愚痴を言い、大騒ぎをすることは、しごく当然(自然)の反応であり、そのスタイルはさておき、一人でがんばったり,我慢するより誰かにぶつける方が良いとされています。

 大きな痛手を追って、自分が「弱められる」「打ちのめされる」そんな時には、弱くされた自分を良しとし、自分で自分に対してやさしくなって、得られる支援を求め、受入れるのが、究極、立ち直りに有利とも言います。いわば、グリーフの渦中にあっては、プライドは邪魔になることもありえます。喪失体験後は、我慢強い人はストレスを溜め込みがちで、不利かもしれません。

 そうは言っても、誰にも彼にも弱い自分をさらけ出す気にはなれないですね。そんな時グリーフ・カウンセラーを利用してもらえればと思います。特に、体育会系の男性には、おすすめと思います。更に言うならば、自分の「弱さ」を認めることが真の意味での「強さ」ともいえます。

 私も古いタイプの人間なので、どちらかと言うと「体育会魂」賛成派です。しかし、今ではほどほどが良い、合理性を兼ね備えたらもっと良いと思っています。天国で、T氏や夫は「何を言ってんだよ」と笑っているかもしれませんが。

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by yoshikos11 | 2010-01-15 15:02 | Comments(0)

阪神淡路大震災:思い出すこと

 阪神淡路大震災から、17日で15年経つことになります。今朝、NHKで神戸大学の「遺族追跡調査」プロジェクトの担当教授がお話をしていました。あの大災害のトラウマと、犠牲になった方々の無念さ、そしてご遺族のグリーフを決して風化させてはいけないということで、ご遺族のその後をインタビューし記録を残しているということでした。
 あのときは、災害の衝撃が日本全国に走り、皆を震撼とさせました。簡単に忘れられません。私は、夫を亡くして2か月目、地震が来る前から「自分の世界がひっくり返った」と感じていたし、「たいへん、たいへん」と大声で叫びたい気持ちだったので、皆が災害で大騒ぎを始めたとき、やっと皆も分かってくれたのかと思った記憶です。
(もちろん、夫は治療のかいもなく病死、自分のグリーフと災害遺族のトラウマ的グリーフとを同一視するつもりはありませんでしたが)

 さて、この災害で思い出すのは、芦屋在住の夫の親友、T氏のことです。大学時代に体育会庭球部に所属していた夫とは、学生時代寝食を共にし、過酷な訓練に耐えた仲間の一人でした。夫の葬儀では友人を代表して弔辞を述べてくださいました。一段落して、私は関西方面で夫が生前、お世話になった方々にご挨拶をすることにしました。当然、T氏にもお会いしようと思っていました。
 そんな矢先に大震災が起こったのです。まだ、その爪痕も生々しい頃、私は「ごあいさつ」どころか、T氏を「お見舞い」する結果になりました。2か月前には、私が慰めてもらったのに、そのときには立場が逆転しました。

 T氏の芦屋のマンションには外壁に亀裂が生じ、撤退する他ありません。また、彼が経営していた数カ所のテニスクラブも、半数以上建物が崩壊し、会員の中には命を落とされた方も多く、命拾いした方も当分、テニスどころではない状況ということでした。この苦境からどう立直るのか、語る彼の表情は苦渋に満ちていました。
 別れ際にぽっつりT氏が言った言葉は忘れられません。「青春時代に鍛えた体育界魂で、何とか乗り越えようと思う。それが出来なければ、何のために体育会で頑張ったか意味がなくなるので」と。(私が聞いた彼の最後の言葉になりました)その後、私も自分自身の立ち直りに必死でしたから、T氏とは年賀状のやりとりくらいで、連絡が途絶えてしまいました。
 3年前に突然、T氏の訃報が届きました。テニスのコーチングに行く途中、胃痛で倒れ病院に担がれたとのこと。胃がんの末期と診断されたそうです。最後まで事業の再建に奔走し、彼は力尽きたのか、或いは、震災で失ったものがあまりにも膨大で、極度のストレスから病気になったのか、その辺は分かりません。

 しかし、T氏が最後まで体育会魂を持ち続け、頑張り抜いたであろうことを私は信じています。夫が病床に伏していたとき、見舞ったくれた彼は「テニスでも0-5から挽回できるのだから、諦めちゃだめだぞ!」と励ましてくれたことを、昨日のように思い出します。

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by yoshikos11 | 2010-01-14 15:57 | Comments(0)

ランディ先生に学ぶ

 昨日、ランディ・パウッシュ先生の「最後のレクチャ」について書きましたが、先生の
47年間の人生からの学び、レッスンの紹介があった中で、たいへん心に残ったものがありました。

 その一つは「夢をもつこと、その実現に向かって努力すること」の大切さについてです。たとえ夢が夢で終わってしまっても、夢を持たないより持つ方が遥かに良いと彼は言っています。なぜなら、「夢の実現に向けて努力すること」によって、私たちはより人生を豊かに、充実して生きることができるからだそうです。

 また、夢の実現を阻む大きな「ブリック・ウォール」(レンガの壁)に直面したとき、ただ、圧倒されて諦めるのではなく、レンガの壁はそれを乗り越えるためにあるのだと信じろと言っています。夢が素晴らしく、偉大であるからこそ壁があるのであり、簡単に得られるものは夢とは言わないのだとも。壁の向こう側には素晴らしいものが待っていると信じることが大切であり、壁にはそうした意味があるとも言っています。

 若者が夢を持ちづらい時代だと言われます。そんな状況で、死を目前に見据えた人から、このようなメッセージをもらうことは、勇気を与えてもらえるのではないでしょうか?
 

 
by yoshikos11 | 2010-01-13 00:42 | Comments(0)

ランディ・パウッシュ著 最後の授業 

 f0101220_1226383.jpg ちょうど一年前の今頃、娘の第二子出産に立会うため、サンフランシスコに出向いたとき、書店で見かけて買って来たのが、ランディ・パウッシュの 「The Last Lecture](邦訳、最後の授業、講談社)でした。

 その後、忙しさにかまけてツンドクしていたものを、お正月休みにようやく読みました。ランディ先生(当時47歳)はコンピュータ・サイエンスの専門家、大学で教鞭を取っていましたが、膵臓がんに侵されて大変な手術と、その後の苦しい制がん剤治療を受けますが、その甲斐もなくガンは再発。数ヶ月の命と宣告を受けます。

 ランディ先生には、最愛の妻と3人の幼子がいます。6歳、3歳、18か月。愛する家族を残して47歳の若さで世を去ることは、どんなに心残りでつらいことでしょうか。「子どもたちが父親を必要とするであろうときに、自分がいてやれないと思うとき、何よりつらい」ともらします。

 また、子どもたちが(特に末娘は)父親の思い出をどうやって保ち続けるのだろうかと言うことが気がかりでなりません。そのために、大学で「last lecture」を企画することにします。本書は、そのレクチャをまとめたものです。レクチャの演題は:「幼少時代の夢を実現するには」です。

 最後のレクチャと言っても、彼は「自分の死について」とか「死と向き合うこと」などを語ってはいません。あくまで、「夢の実現」について自分の人生経験をもとに語ります。幼少時代から、夢見る子どもであったこと、そしてその夢を一つ一つ実現できたことに「たいへん満足している」と言います。また、「夢見ることを許してくれた両親に感謝し」「私の子どもたちも、ずっと夢を持ち続け、私がそうであったように、一つ一つ実現していって欲しい」と訴えます。

 いわば、47年の人生を通して学んだレッスン(一つ一つが意味深い)を聴衆と分かち合いつつ、実は誰よりも自分の子どもたちに貴重なレッスンを残しているのです。そして「自分の夢を実現するだけでなく、他の人の夢の実現を応援することが、近年は、より大きな喜びに繋がっていた」と訴え、その意味で、大学という教育現場で働くことができて幸運だったと言います。

 さて、このレクチャの実況をサイトで鑑賞することができます。読書後、実況を見て更なる感動を呼び起こされました。「あれが、数ヶ月の命と宣告された人なのか?」と驚くほど、ランディ先生は、楽しそうにイキイキと「生きること」「楽しむこと」について、随所にジョークを交えて話しています。そして彼は言います。「死に向かっているというのに、このとおり、自分は、日々刻々、楽しまずにはいられない」と。会場は、彼のジョークで大爆笑の連続です。

 しかし、聴衆に混じって最前列で夫の最後のレクチャを聞いている奥さんは、しばしば涙を押さえ切れない様子でした。誰よりも「夫が死ぬなんて、信じられない」そんな思いで聞いていたのでしょう。最後に二人の抱擁の場面がありますが、そのとき彼女は彼の耳元でささやいたそうです。『Please do not die!』と。(これは実況では聞こえませんが、図書に記されています!)

 ランディ先生の最後のレクチャ見たい方は:
 http://www.youtube.com/watch?v=ji5_MqicxSo

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by yoshikos11 | 2010-01-11 13:41 | Comments(0)

映画 沈まぬ太陽 (グリーフケアの視点から?)

f0101220_16462282.jpg 暮れからお正月にかけて娘の犬(Bonzo)を預かっているので、もっぱら朝夕散歩で足を鍛えています。元旦は、彼女の家のテラスから初日の出をBonzoと一緒に仰ぎました。犬のおかげで早起きもしています。

日の出といえば、山崎豊子原作の映画「沈まぬ太陽」を鑑賞してきました。映画館は満員、観客は中高年が圧倒的に多かったです。この本が発刊された当時は、JALのイメージダウンになるとか、ならないとか、随分騒がれたようですが、私は当時、カナダ在住だったのでその辺のことは知りませんでした。しかし、あの惨事は時間とともに風化させてはならないので、映画化したことに喝采を送りたいと思いました。

最初と最後にアフリカのサバンナの雄大な映像が映りますが、圧巻でした。渡辺謙が演じる主人公(恩地)が「この大自然を目の当たりにすると、自分はなんと小さなことで一喜一憂していたかを思い知らされる」と言います。JALならぬNAL(ナショナル航空)の労働組合委員長として大活躍したばかりに、管理者からにらまれ、疎まれ、左遷につぐ左遷を経験。晩年になってまさかのナイロビ転勤を命ぜられます。しかし、彼は大自然に心を癒されるのです。

左遷の一件以外にも、恩地は癒しが必要でした。それは、彼が御巣鷹山の事故の直後から事後処理に携わり、その後数年間、遺族への慰謝料交渉の役目を担ったことがあります。画面から、事故の衝撃の大きさが伝わってきます。たいへんなトラウマです。遺族の苦渋のシーンが紹介されますが、あの惨事の現場で昼夜徹して働いた主人公は、どっぷりトラウマに汚染されたはずです。
 更に、その後数年間、深い悲しみにある遺族を次々に訪問して歩きます。NAL側は、いわば「加害者」なわけですから、恩地の役割はつらいものがあります。怒りをぶつけ、怒声を浴びせる遺族もいます。そうでなくても、親身になって相手の苦しみを受止め、共感する役割は決して楽ではありません。(主人公はグリーフケアの訓練を受けたと思えないので!)

それでも、誠実な主人公は生涯かけて遺族に詫びて廻りたいのだと言います。宇津井健演じる老齢の遺族は、一人息子夫婦と孫を事故で亡くしています。恩地は、この男性を何回か訪ねる中で「あなたの経験された苦しみは、私が生涯経験した全ての苦しみを全部あわせても、到底、かなうものではない」と告げます。このセリフ、たいへん印象的であり、彼が必死で相手の苦しみを理解しようとしたことが想像できます。

ナイロビ「左遷」人事にショックもあったのでしょうけれど、恩地には「日本から逃れたい」という思いをあったと想像しました。日本に住んでいたら生涯、事故のことから解放されないでしょう。ナイロビの荘厳な夕日に、彼はようやくバーンアウト寸前の心を癒したのだと思いました。

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by yoshikos11 | 2010-01-03 18:16 | Comments(0)

デ−ケン先生とのご縁 

f0101220_15135272.jpg クリスマスと元旦には、四ッ谷のイグナチオ教会へ行きました。両日とも、うれしいことに、デ−ケン先生がミサの補佐をされていました。日頃は、超ご多忙で全国を駆け回って講演をされていらっしゃるデ−ケン先生には、めったにお目にかかれないのですが、特別な祭事には教会のお役目を果たされるご様子、思いがけずお会いすることができました。

直接、先生からパンを分けていただくことに(教会では、信徒にパンと葡萄酒が分け与えられます)殊の外うれしく、また、ご縁を感じます。私が、今日、死生学やグリーフについて教鞭を取っているのも、そもそも、デ−ケン先生のご指導によるものです。先生に出会わなかったら、今日の私はありえません。ご縁に感謝です!

日本に於ける死生学のパイオニアとして、デ−ケン先生の貢献度は、測り知れないものがあります。そのご恩を日本人として忘れてはならないと思います。また、今年は、IWG(国際死生学会)が先生の故郷であるドイツで開催されます。私も、今から参加を愉しみにしています。

「ドイツでもご一緒できますね!」とデ−ケン先生はニコニコしながら声をかけてくださいました。新年早々、百万ドルの笑顔に出会えて、勇気を与えられ、今年もさい先の良いスタートが切れた思いです!

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by yoshikos11 | 2010-01-01 15:42 | Comments(0)