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自死に対する社会的偏見:講演会に参加して(2)

 自死に対する世の中の偏見ゆえに、遺された方々はただでさえ愛する人を失ってつらい上に、余計な苦しみまで負うことになります。ある方は「身内の自死で、私たち一家は普通の家族ではなくなってしまいました。ワケアリの家族になってしまいました。あたかも不動産でいうところのワケアリ物件のように」ともらしました。
 実際に、自死があった家宅を売却するときには、そうした事情を明らかにしなければならないという規則があるし、足下を見られて価格を叩かれるそうです。賃貸の場合、家主から法外な慰謝料を請求されたというケースもありました。室内改装が必要になる、借り手が付きにくいなどの理由で。こうした話から、自死に対する社会的偏見が根深いことがよく分かります。
 しかし、私は講演を聴きながら、偏見の裏にある人間心理のことをしきりと考えていました。自死については、人々が死の事実よりも『死の有りよう』を想像し、ショッキングでトラウマ的だと感じ、そのようなことから自分は一線を画したい,自分には起こってほしくないというような気持が起こり、引けてしまうのではないかと推察しました。
 現実、自死遺族の方や目撃した人は、まずこのトラウマで苦しむということがあり、グリーフケアと同時にトラウマケアも必要になるわけです。救急隊や警察官など、災害や事故に立会うことが多い仕事の人たちは、職務とはいえトラウマの影響を避けられず、彼らも事後のケアが必要です。
 トラウマとはそういう性質のもので、トラウマ的なことを恐れるという人間の本能、それ自体は自然の反応で『そう感じるのは良くない』と非難するものではないはずです。もちろん、グリーフ・カウンセラーのように教育と訓練を受けたものは、自分の感情をコントロールし、当事者に深い思いやりと理解を持って支えるので話は別です。
 「自死に対する社会的偏見」の是正、グリーフ・カウンセラーの立場から、こうした偏見の犠牲者には同情を禁じえないし、また、周囲の無理解によって苦しんで欲しくないという思いは人一倍あるつもりです。しかしこの運動は、バランス感覚をもって(多面的な視点をもって)啓蒙していくことだと思いました。あまりアグレッシブに進めると、人は益々引けてしまうのではという気がします。

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by yoshikos11 | 2011-01-24 01:31 | Comments(0)

自死に対する社会的偏見:講演会に参加して(1)

 先週、グリーフケア・サポートプラザ(自死遺族をサポートする支援団体)主催の講演会に参加しました。この会を支えている方々の中にはご遺族の方も多いと伺っています。
 今回のテーマ「自死に対する社会的偏見」をなくそうというメッセージは、基調講演(清水新二先生)のお話からも、また他のシンポジストの発言からもパワフルに伝わってきました。
 偏見を露にする言葉の例として、たとえば地域行政の標語、『ワーストワン、この町から自殺をなくそう』などが指摘されました。行政に携わる人たちが「自死」について、少しでも理解があればこのように自死を頭から悪いことと決めつける用語や、XX撲滅というような短絡的なスローガンは出さないはずということです。
 自死を断行する人は「やむにやまれない」事情があってそうせざるを得なかったということ、また誰にも救えないどうしようもない状況というのがありうることなど、自死に対する正しい理解と、謙虚な思いやりが大切であり、この点に関しての啓蒙の重要性を講演者は訴えました。
 また、他のスピーカーは『うつをたたき出せ』という標語を行政側が内々に掲げていることに対して、これなども精神疾患を抱えた人への「偏見」「思いやりの欠如」「専門的知識のなさ」を露にする一例と指摘されました。
 色々お話を伺って「社会的偏見」の払拭は容易でない、時間がかかるという思いを深くしました。というのは、自死に限らず、様々な事柄に対する社会的偏見は、長年の歴史を経て私たちの文化の一部になっているからです。そして私たちはその文化に教えられて今日に至っているので、行政の責任者ばかりを責められません、私たち一人一人の心のどこかにも、何らかの偏見が育ったということは多いにありえます。
 しかし自意識をもったものが、文化の再評価を提案し、地道な啓蒙運動をしていくことで、文化そのものが変わり、レベルアップすると信じたいです。もっとも文化に逆流するには勇気と、そして何より忍耐が必要でもあるということを再認識させられました。

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by yoshikos11 | 2011-01-23 17:42 | Comments(0)

醜悪な話し方(日経 あすへの話題から)

 脚本家の内館牧子さんが、日本人,特に女性の話し方が不気味なまでに醜悪になっていると批判していました。天皇陛下が喜寿を迎えられ、記者会見で「テレビの人の会話(アナウンサーを除く)については字幕に頼る」要するに聞き取りにくいと言われたそうです。お年のせいで難聴になったということを暗にお話しになり、それにしてもアナウンサーはいかに分りやすく話してくれるかが今頃になってよく分かったとおっしゃった。
 これに対して内館さんは、聞き取れないのは耳が不調なのではなく、話し手のせい、あまりにも話し方がひどい人が多いからと指摘。まず声のトーンが異常なまでに高い、自然ではなく明らかに演出が感じられる(ワザトラシイの意味?)と彼女は言っています。
 内館さんの記事を読んで「ああ、そう感じていたのは私だけではないのか」と思って安心しました。テレビで「ヒュアー」「キャー」「ワー」と甲高い奇声を連発する人(特に若い女性が目立つ)が登場すると、私の耳も拒絶反応を起し、チャンネルを変えます。女性だけでなく男性でも、やたらカシマシイばかりの芸人さんは苦手です。ただただ騒音としか思えない。
 さて内館さん指摘の「醜悪な」話し方の一例、美容院でシャンプーをしてもらっているシーンだそうですが、皆さん意味が分りますか?「オタユイトココタイマツカ、ティカラカケンハタイジョブデトウカ」(お痒いところございますか?力加減は大丈夫ですかーーという意味だそうです!)
 もちろん、GCCの講座ではこのような問題はありません。ただ、前学期のクラスに88歳の受講生がいらっしゃり、補聴器を着けて聴講していらっしゃいました。その方のために全員が、務めて分りやすく、はっきりした言葉で、少し大きめの声で話すように心がけました。それでおお助かりしたのは他ならぬ講師の私でした。聞き取りやすい話し方、本当に有り難いです。
 
by yoshikos11 | 2011-01-19 02:16 | Comments(0)

神戸大震災(2)

 私は神戸大震災を出張先のミラノで知りました。当時ファッションの業界にいて、イタリアの企業に務めていたので、年に3~4回は本社のあるミラノを訪問していました。
 朝、ホテルで目覚め、身支度をしながらテレビを付けたところ、目に飛び込んできた映像はまるで戦場か戦渦の後のような殺伐としたものでした。アッチコッチに火が立ちこめ、煙が蔓延するなかを救急車が走っていました。あたりは真っ暗です。
 一瞬、どこかの国で戦争が勃発したのかと思いました。アナウンサーの言葉が耳に入って来て(イタリア語は良く分らないながら)『日本』『神戸』という言葉が聞こえるではありませんか。『なんだ、日本のことだ!』『日本で戦争が起こったのか?』と思いました。
 イタリアで日本のニュースと接することはめったにないので、何かスゴいことが起こったのかと咄嗟に感じはしましたが。。。やがて高速道路が真っ二つに折れ、原型を留めないほど崩壊し、その中に自動車が転がっているという、目を疑うような映像にしばし呆然として釘付けになりました。

 オフィスに出向くと、出張に同行した日本の取引先の方々が心配そうな顔をしていました。その一人は大阪出身で、ご両親は千歳空港の近くに住んでおられるとのこと、電話をしても回線が繋がらず、安否も分らなくてたいへん心配していました。イタリア人も私たち日本人もその日は仕事が手に付かない状態でした。ようやく夜分になって大阪と連絡がついてほっとした彼の顔は、いまでも思い浮かびます。
 あの世紀末を思わせる惨状から、勇気を奮って立ち上がり、再建にひたすら尽くしてきた方々には頭が下がる思いです。また、最愛の人を理不尽な死によって奪われた方々には、その後、心の激痛と闘いながら、再生を図って来られたことに、心からの敬意を表させていただきます。震災の記念日、厳粛な気持にさせられます。これからもあの天災を決して忘れることはないでしょう。

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by yoshikos11 | 2011-01-18 12:47 | Comments(0)

神戸大震災から16年 (1)

 f0101220_039784.jpg神戸では今日、震災16年目の追悼記念の式典がありました。公園に5千人が集り10万本の蝋燭の火を灯し、地震のあった早朝5時46分に黙祷を捧げたそうです。 16年前を忘れもしません。日本中が震撼となり、まさに「神も仏もあるものか」という気持になりました。
 一夜にして6434人もの命が奪われました。そんなことがあって良いのか、私は当時知り合いの牧師さんに「神が全知全能で、善をよしとするなら、どうしてこんなことを起させるのですか」と聞いてしまいました。答えはありませんでした。身内や身近な人を亡くした方々は、そうしたやり場のない気持とずっと闘って来られたのでしょうか。
 「はるかのヒマワリ」という本があります。小学生だったはるかちゃんは、自宅の家がつぶされて下敷きになり亡くなりました。しばらくして、崩壊した家の庭にヒマワリが咲いたそうです。はるかちゃんが飼っていた小鳥の餌にヒマワリの種が混じっていて地面に落ち、花を咲かせたのです。
 まるで天国に逝ったはるかちゃんが、罹災した人たちに「がんばって!」とメッセージを送ってくれたかのようでした。近所の人たちがヒマワリを植えようという運動を起して、いまでは夏になると街中にはるかのヒマワリが咲くそうです。全国に広まって,今では300万本にも増えました。
 300万本に遺された人ひとり一人の思いが込められている気がします。天災地変の前では全く無力な人間だけれど、ヒマワリに命を繋げていくシブトさもあるのが人間なんだと思います。
by yoshikos11 | 2011-01-18 01:06 | Comments(0)

GCCの同士の死を悼む

f0101220_05441.jpg この間の日曜日GCC認定グリーフ・カウンセラーでグリーフ学を志す同士の一人、楳林氏の追悼会を遺された奥様をお招きして行いました。楳林氏はGCCの仲間の中でも、とくに研究熱心で「スピリチュアルケア」のテーマで一日ワークショップの講師も務めて下さいました。今後が期待されていただけにとても残念です。
 ご病気療養中でしたが、皆の祈りも届かず、昨年、11月に死去されました。いつもご夫婦でGCCの講座に参加されており――受講生の中でカップルで参加は希少価値でした――お一人になられた奥様のお悲しみはいかばかりかとお察ししています。
 追悼会には仲間数名が集り、ランチを共にしましたが、祈り、思い出の分かち合い、奥様が持参された楳林氏の生涯を写真で綴ったDVDの鑑賞などで、彼を偲びました。
 GCCでは、これまでに19名の認定グリーフカウンセラーを世に輩出していますが、今回、その貴重なひとりを亡くした私は,その意味でもとても悲しいです。この19名は、皆私が手塩にかけた期待の星なので、ひとりでも喪うことは大きな痛手です。遺された18名の皆さん、彼の分まで頑張って彼の志を繋いで下さい!また後続の方々が資格取得をして、もり立てて行って欲しいです。
 楳林氏の魂がやすらかでありますようにお祈りし,ここに哀悼の意を表したいと思います。
(写真は、R.ニーメヤー先生――中央ーー来日のとき、明治神宮にて。右端、楳林氏)
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by yoshikos11 | 2011-01-14 00:33 | Comments(2)

またブログにご無沙汰!

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寒中お見舞い申しあげます!スキーが好きな方にとっては魅力的なシーズン到来ですね! 
 さて、去年の12月は論文を書くためのインタビュー(調査)とその後、執筆に追われてやっと完了しヤレヤレと思ったら年の暮れでした。「日本自殺予防学会」の会報に掲載予定ですが、「トラウマ的死別喪失への介入:再生と成長を目指して」というタイトルで書きました。
 そして新年になってからも、また新たな論文を書き始め、これが1月25日が締め切り。今度は「対話による実践スピリチャルケア」というタイトルです。たいへん大きなテーマで、考え考え書いています。もうひと頑張りしないとなりません。
 どうも原稿を抱えてしまうと、書き終わるまで、気持的にも時間的にも余裕がなくなり、ブログも滞り勝ち。12月は一回も投稿していなかったなんて、我ながら不甲斐ないです!読んで下さっていた方々には本当に申し訳ない気持でいっぱいです。(もう、忘れられてしまっても文句はいえません)
 一月も半分過ぎようとしていますが、これからはブログ、頑張りますのでよろしくお願い致します。
 いよいよ明日から、GCCグリーフ・カウンセラー養成講座冬季(基礎篇)がスタートします。また25日からは上級篇がスタート。論文執筆中に気付いたこと、考えたことなど講義でお話したいと思っています。
 樹氷の写真は私の友人、ESさんの作品です。
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by yoshikos11 | 2011-01-12 23:31 | Comments(0)