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GCC 勉強会「男性のグリーフについて」(2)

「男性のグリーフ」続きです。まず、グリーフに多少の性差があるとはいえ、グリーフ・カウンセラーとしては、グリーフが極めて個人的な経験であり、個人差が大きいことをまず心すべきでしょう。男性、女性と一派ひとからげにできるものではありません。
 男勝りの女性もいれば、かいがいしい女性のような男性もいますよね。おしゃべりな男性もいれば無口な女性も中にはいます!

 また「誰を失ったのか、親? 子ども? 配偶者?」「病気で?事故で?どんな形で亡くしたのか?」などによってもグリーフには差が生じて当然です。

 次に「感情表出」に社会的しばりが厳しいと仮定される男性について、もしそれが実態であるなら、私がちょっと危惧すること:
 もしかしてソーシャル・コンディショニングによって 「悲しい」「つらい」などの感情を押さえる習慣になった男性(女性でもあるかも)は、いつの間にか「悲しい」「つらい」という感情は無意識のうちに否定、ないしは排除するようになるのではということです。

 そうなると、もはや感情の「表出」が問題とは言えない。そもそも「悲しい」「つらい」なんて感情は探そうにも探せなくなる〜という別の問題になるのではないでしょうか? 
 感情の理性化という言葉があるように、身内を亡くした人の中に「悲しいでしょう?」と聞かれると「いや、親孝行(女房孝行)を充分したから悲しくない」というように理屈でもって答える人が時々あります。そう思い込むようにしているのか、実際悲しくないのか不可解ではありますが。

 ニーメヤーが言っているように「感情とは自分の身に何が起こったかを報せる警鐘であり、素直にそれを認めることが自分を知る上で大切」と。そう考えると社会的しばりで一部の感情を否定することは「自分らしさ」を失うことにもなりかねません。

 この「しばり」からの解放、やはり真剣に考えるべきときが来たのかもしれません。男女ともに!

私のサイトもよろしく:http://www.gcctokyo.com


 
by yoshikos11 | 2009-07-19 19:39
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