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スピリチュアルケア研究会(つづき)

 夕べブログを書き終わったら明け方の4時になってしまいました。頭が大分朦朧としており「尊厳死」などという重大なテーマについて考えるには、ふさわしい状態ではありませんでした。それで何か大切なことを伝えそびれたような気がして、再度チャレンジしようと思います。
 まず、私は死生学を修学したとは言え、同じ死生学でも興味と関心は「終末期」(end of life)よりも「死別」(ビリーブメント)と言うことがあり、前者の話題はどうもスムースに話せないのかもしれません。後者は自分の体験があるので、色々想像を巡らせて筆も進むのだと思います。

 さて、「尊厳死」について、いつも思い出すのはカナダでの有名な判例で、スー・ロドリゲスのケースです。ロドリゲス嬢(当時、40歳前半)はALSの患者でしたが、症状悪化が進む前に自らの命を絶ちたいと希望します。身体機能を全て失って自分らしく生きることができないのなら、死を選びたいし、自死が可能な今、実行したいと訴えます。主治医も彼女に同情して、自殺幇助に賛成します。しかしカナダの現行の法律では自殺幇助は許されませんでした。

 そこで、ロドリゲス嬢は国を相手に裁判を要求します。その結果、自殺幇助に対して、判事の判決は反対VS賛成が、接戦で5対4に別れました。反対派の言い分は「人の命は根源的に神聖なるもの、何人たりとも〜自己も含めて〜それを侵すことは許されない」というもの。一方、賛成派は「人間の尊厳は自己決定にあり、それを保証するのは選択の自由である。身体的機能を失ってはその自由も奪われるので、尊厳を維持することは不可能。よって、原告は自由を尊守する意味で自殺を認める」ということでした。

 要するに、この判例では「命の根源的な不可侵性」対「尊厳維持のための自己決定権」という二つの主張に分かれたということです。そして、判決が5:4という接戦であったことが、如何に「尊厳死」が難しい問題であるかが分ります。

 裏話として、結果的にはロドリゲス嬢敗訴しましたが、彼女の医師が法に触れない何らかのやり方で、彼女が命を絶つことを間接的に支援したと言う話でした。
 ここで興味ある点は、「命の神聖性」を主張した判事が「決して宗教的な意味で言っているのではない」と強調したことです。キリスト教を持ち出すまでもなく、人間であれば命に対して畏敬の念を持っているという意味なのでしょう。

 今夜はこれくらいにします。

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by yoshikos11 | 2010-04-25 03:58
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