人気ブログランキング | 話題のタグを見る

父の命日に思う

父の命日に思う_f0101220_23263210.jpg
11月27日、父の命日です。そして又銀杏の葉がゴールデンに色づく季節となりました。何年経っても父の闘病中のこと、最後のこと、葬儀のことなど忘れられないものですね。
 あの頃、私は自宅、勤務先のオフィス、父の入院先の病院と、気ぜわしく都心で車を走らせていました。三宅坂を通ると銀杏並木がキラキラと輝いていました。父の命が風前の灯火、そんな思いで見る樹々は、涙でボーと霞んでいましたっけ。(今思えば危ない運転でした!)
 私の両親は長女(私の姉)を二歳で亡くしています。しかし生前父からその話について、赤ん坊だった姉のことについてなど、一切聞いたことがありませんでした。
 幼子を亡くしたせいなのか、父は誰の赤ちゃんであれ、幼いお子さんであれ、異常なほどにかわいがり、愛おしそうにしていました。単に、子ども好きと一言で片付けられないほど。幼い命を亡くしたものだけに、子どもの命の尊さを人一倍、感じていたのかもしれません。
 父は優しい人でした。また面倒見の良い人で、誰かが病気だと言うと親戚であれ、友人であれ、とことん付き合って、病院に付き添い、医師との間に入って話を聴き、自分でも病気のことを調べ、ご家族を励まし、といったように、良くあそこまで人の面倒が見られるものだと、私は感心しました。
 一方で厳しいところもあり、正しいと思ったら例え相手が誰であれ、率直に意見を言うタイプでした。あるとき、伯母(父の姉)が時の総理中曽根康弘氏と懇意で、父も駆出されてテニスのダブルをすることになりました。
 テニスクラブでは総理が来られるというので、挨拶したいという会員が群がり、テニス後のお茶の席には「総理、総理」と大勢が押し掛けたそうです。帰宅した父曰く。「総理としてテニスに来たわけではなく、中曽根さん個人として来たのに、総理呼ばわりはおかしい!私は『中曽根君』と呼んでやったよ」と。お世辞やヨイショの苦手な父らしい一面を表しています。
 今になって、ああもっと父とは話がしたかったと思う昨今です。

私のサイトもよろしく:http://www.gcctokyo.com
 
by yoshikos11 | 2016-11-27 23:58
<< クリスマス スコットランドIWG (国際死... >>