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関西で講演

京都府と滋賀県の緩和ケア従事者の研究会からお頼まれして、先週末はその会の年次大会でグリーフについての講演をして来ました。200名以上の方々が集まり皆さん熱心に私の話を聞いて下さいました。

久々の京都、一泊して翌日は鴨川の水源を訪ね、山奥の新緑に囲まれて、渓流の音を聞きながら鮎など京料理を楽しみました。連れて行って下さったのは、カナダで出会った精神科医の先生ご夫妻でした。

最近は、患者さんやご家族の気持ちを配慮してか、「ターミナルケア」とか「終末期医療」という言葉が消えつつあります。その代わりに「緩和ケア」(Palliative Care)−−症状を緩和するケア−−が一般に使われるようになったのでしょう。 

たとえ、医学的データが全てネガティブであっても、愛する人の命の「終焉」を認めるのは誰にとってもつら過ぎるので露骨な表現は避ける。こうした現象を「死の文化的緩和」と言います。

もう一つ言えば、人の命の終わりは医学や医学的データが決めるものでもない。身近にも、完璧な食事療法と、休息により、奇跡的に末期的「がん」が消え、生還したという方がいます。

もっと言えば、私たちはあらゆる危険と背中合わせに暮らしているので、突然事故に遭遇して今日、死ぬかもしれない。そんなこと「あってはならない」と想定しているだけで、現にそのような死別体験をされた方がいらっしゃる。

もし、「ターミナル」という言葉を使うとしたら、私たちは皆同様に「ターミナル」と、私の恩師モーガン教授が言っていました。

5月後半は、例の講演準備で家に立て籠り、原稿作成に余念がなかったのですが、その間、長女の義父ががんで亡くなりました。亡くなる3日前に長女一家と一緒にお見舞いに行ったばかりでした。そのとき、義父さんとは旅の話題になりました。

ふっと彼は「旅したい所はまだあるけれど、もうそれもかなわない」ともらし、私を含め一瞬皆黙ってしまいました。「そんなこと言わないで」と誰かが小声で言ったようでした。この瞬間、彼はきっと「死」を意識して、何か私たちに言って欲しかったのだろうと想像されます。

何も応えられなかった自分に不甲斐なさを感じると同時に、あの際、何と言ったら良かったのかそれ以後考えていました。たとえば「宇宙に比べたら地球なんて狭いもの。旅すると言っても知れています。いつか一緒に広い宇宙をスーパーマンのように飛びましょうよ−−後から行きますから待っていて」

誰もがそんなように自由に死について話せたらどんなに良いでしょうか? 今日のブログ亡くなった義父さんに捧げます。
by yoshikos11 | 2007-06-06 11:58 | グリーフ
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