人気ブログランキング | 話題のタグを見る

11月27日は父の命日

  27日の感慨を書こうと思っているうちに、28日になってしまいました。
夜遅くまで仕事をする傾向で、気がつくとミッドナイトを過ぎて直に1時、2時になってしまいます。何と一日の過ぎるのが早いことでしょうか。

 父が亡くなって23年になります。お墓は多磨墓地にあり、遠くて中々行かれまん。特に、この11月は本当に忙しくて、今週は、講義と講演の両方の原稿を抱えて、寸暇を惜しんで資料あさり、読書、まとめ、PCでタイプとマラソン状態です。

 ということで、墓参りは出来ませんでしたが、父には理解してもらおうと思っています。今朝は、せめて花でもと思い、近所の花屋さんで沢山買って来て、父の写真の前に飾りました。クリスマス・リーフといって、薄い赤で、小さく繊細な花が沢山ついている素敵な枝ものを見つけました。他にも父が好きだった菊、これも薄い赤と、黄緑をそろえました。
 
 父は、ガーデニングが得意でした。春は、我が家の庭につるバラが咲き乱れ、夏には、当時では珍しかったジンジャーや、オクラの花も見事に咲いて天まで昇る勢いでした。冬は、シクラメンやポインセチアを丹誠込めて世話していました。

 戦後まもない食糧難の頃、父は、社宅の広い庭一面に、ありとあらゆる野菜を植えて育てていたこともありました。都心、市ヶ谷に住んでいた頃でしたから、今では考えられない話です。
 キュウリ、トマト、なす、インゲンなどは父にとっては初級編、ピーナッツ、三つ葉、パセリー、セロリー、ミョウガ、オクラ、芽キャベツ、カリフラワー、ETCと、まるで八百屋さんが出来そうでした。

 実に、多趣味で、ガーデニングの他にも、車、ハンティング、つり、囲碁、麻雀、テニス、ゴルフ、そして、料理も暇があればやって楽しんでいました。毎年、東京湾のはぜをつって来ては、一人台所を占領し、三枚にひらいて天ぷらをつくってくれたこともありました。

 きじ、つぐみ、鴨などをしとめて持って帰って来たこともありました。さすがに、収穫した鳥を、座敷にポンと放り出された時は、ギョッとしましたが。きじご飯だのつぐみ焼きだの、父のおかげで、随分変わった物を子供の頃に食べたことになります

 子供の頃、運動会と遠足のお弁当は、いつも父がかんぴょう巻きを作ってくれました。父は、巻くのだけが得意だったのであり、酢飯作り、かんぴょうの煮出しは、もちろん母だったのでしょう。食べ盛りの私にとって、沢山運動した後の、あのかんぴょう巻きのおいしかったことは、今でも忘れません。

 小学6年生のとき、運動会を、上智大学の土手下にある運動場を借り切ってやったことがありました。そのとき、私は徒競走で一等になりました。初めて母と一緒に運動会を見に来た父が、土手の上から手を振っていて本当にうれしそうだったのを、思い出します。

 学業のことは、通知簿すら見るやら見ないやら無関心な父でしたが、徒競走やリレーで私が活躍した時は感動したようでした。父自らは、生来、抜群の運動神経と脚力の持ち主で、若い頃、都の陸上大会に出たりしたようでした。そんな頃を思い出しながら子供の運動会を見ていたのかもしれません。

 父が亡くなった日、聖路加国際病院の屋上から見た夕日が、この世のものとは思えないほど、ゴージャスで美しかったのです。空が真っ赤に映えて。生涯、誠実に、慈悲深く生きた父の最後を、世界中が暖かく見送って、天が迎えてくれていると、私は思っていました。

 

 

 

 

 
 
by yoshikos11 | 2007-11-28 03:06
<< ちょっと一息いれます! 聖アンデレ教会での講演 >>