映画「さようなら。いつかわかること」

このところ、グリーフに関連したアメリカの映画が続けて上映されています。「悲しみが乾くまで」と、今、上映中の「さようなら。いつかわかること」があります。後者を見たばかりなので、紹介します。

 ストーリーは、妻が陸軍兵士、戦地イラクへ赴くことになり、夫は、スーパーのマネージャーの仕事のかたわら、二人の娘(12歳と8歳)の世話をし、留守宅を守るという設定。アメリカならではの家庭の事情です。

 映画は、イラクでアメリカ大使館が爆破されたと言うテレビ報道を、長女が居間で一人不安げに眺めているシーンで始まり、そこへ仕事から父親が戻ります。長女は慌ててテレビを決して、父親を心配させまいとします。(留守宅の不安は、想像に難くありませんーこんな家庭がアメリカには何千もあるのですね)

 不安が的中、やがて家族には母親の戦死が伝えられるのです。父親一人が在宅の折り、軍の担当者が重々しく訪問してきます。玄関口で妻の訃報を聞き、呆然とする夫。軍隊付きチャプレンが同行し「ご一緒に奥様の為に祈りましょうか?」と誘うのですが、彼は「いや、結構です」ときっぱり断わります。
 「グレース(妻)の魂の平安を」とでも祈ろうと言うのでしょうか?とんでもない、彼には妻の死など、到底即座に受入れられないからです。「死者のための祈り」など唱えられるわけがないのです。ましてや、しばらくは現実乖離状態ですから。

 映画は、アメリカと言えども恐らく極めて稀なケース(妻が出兵、夫と子供が留守番)を設定しています。ちなみに、彼が、従軍兵士の家族を対象としたサポート・グループに参加するシーンもありますが、彼以外は全部奥さんたちです。(何となく、そこで違和感を抱く彼。何も発言せずに帰ります)

 映画ですから、極めて稀なケースを扱うことで、おもしろみを訴求するのでしょうけれど、設定に無理があると言えなくもありません。この母親、声だけで一度も登場しないのですが、母親を慕い、限りなく必要とする育ち盛りの娘達を置いて、母親たるもの参戦する気になるでしょうか?
 たとえ、軍隊でのキャリアが大切であっても、家庭を犠牲にしてまで多大なリスクを伴う仕事を選ぶだろうか? 私には、その点が納得できませんでした。仕事と家庭の両立を可能にする仕事は他にもあるのでは、と思ってしまうからです。

 長女は、まさに私の疑問を代弁していたようでした。ある時父親に「ママは、どうしてわざわざ危険な仕事に付くの?」と聞きます。父親は、「ママのように危険を犯してまで、国や我々を守る人たちがいてくれるからこそ、皆安心して暮らせるのだ」と諭します。「ママは、国のために敵と闘うのが義務だと信じているからさ」とも言います。

 しかし、長女は譲りません。「一体その義務ッてなんなの。敵でもない相手を敵にしたてて闘うのが、何が義務なの?大体、あの戦争は間違いでしょ!」と父親に責めよります。今や、国民の大半が、イラク戦争参戦が「間違い」だったとブッシュを批判するアメリカ。12歳の子供ですら、そのことを感じています。

 さて、そんな状況で、苦しむのは大義名分が崩れてしまった戦争のために、最前線で体を張って闘う兵士とその家族でしょう。もはや、戦死のヒーロー神話は崩れしまった。妻、母親を亡くしたこの家族のグリーフは、深い悲しみ、痛みもさることながら、
多くの犠牲を強いられたあげく、「喪失」の意味再構成が極めて難しい。
 もしかして、disenfranchized grief(公認されないグリーフ)と呼んだ方が良いのかもしれません。

 制作者は、何を最も伝えたかったのでしょうか?この映画、単に遺族のグリーフというお話ではなさそうです。それよりも「仕事と家庭の両立」というフェミニズムのジレンマや、イラク戦争の泥沼から抜け出られないアメリカ国民のフラストを、より訴えたかった気がします。

 単純に涙しながら映画を鑑賞出来ない、そんな深読みの弊害も感じる昨今です。


 
 

 
by yoshikos11 | 2008-05-25 03:24 | Comments(0)
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