先週土曜日に、ベグライテン(デ−ケン先生のホスピス・ボランティア養成講座,修了生の会)の8周年特別講演会へ参加して、講師、谷荘吉先生(ホスピス専門医の草分け的存在)のお話を聞きました。演題は「心豊かに感じ、考え、行動するために」:公共の哲学のすすめーでした。
公共の哲学という言葉、ここでは簡単にします。詳しいことは、山脇直司の「公共の哲学とは何か」という図書がご推薦でした。あえて今「公共の哲学」と叫ぶ理由は、そもそも哲学とはその原点,ギリシャ哲学の初めからカント、へーゲルに至るまで、公共の福利、利益を探求する学問的活動だったのが、日本では個人的抽象的思惟の世界に回避するもののように誤解され、導入された〜今、その原点に戻ろう、ということのようです。 目指すところは「個人を生かしつつ、公共性を開花させる道筋」です。言い換えると、自分の才能を生かし、自分らしく生きることが、同時に公共の福利に繋がれば、それが理想的、ということになるのでしょう。谷先生が、専門家として、また、同じ運命共同体の一員である人間として、末期患者さんの心身両面の苦痛をサポートしつつ生きて来られた半生が、その一つのモデルなのかと私には思えました。 さて、そこでホスピスの理念に戻ります。「患者さんと家族を全人的に支える」〜と言いますが、彼らの多面的なニーズに対応するためには、他分野複数の専門家がチームワークであたるべきというのが基本的な考え方です。身体的苦痛を緩和するには、医療の介入は必須ですが、患者さんの心理的、実存的、精神的、社会的苦痛も百人百様であり、各分野の専門家が支えなければ、本来のホスピスとは言えないのです。 現実的な話としても、これら全てのニーズを、ただでさえ多忙な医療者の肩に全て負わせる事は、想像しただけでも大変です。また、患者や家族の立場になるなら、人にはそれぞれ個性や癖がありますから、複数のタイプの違う人間に出会え、交流出来る方が有利ということもあります。 私は、カナダで死生学を2年間学び、その中でホスピスについて医師、看護士、社会福祉士、生命倫理の専門家、チャプレンなど現場の専門家を、入れ代わり立ち代わり講師に迎えて、その理念について叩き込まれました。最後の実習では、病棟で行われるホスピス・チームの日常のミーティングにも実習生として参加を許され、つぶさに、「チーム・ワーク」の全人的サポートが実現している場面を目撃しました。 日本の現状はどうなのでしょうか?谷先生の言葉では「日本のホスピスは医療の延長線上にある」とのこと。また、「本来のホスピスの立場では、医療はあくまでも補助的手段であるべき」「ホスピスとは、患者さんの生活篇です」と言われました。生活篇とは、まさに、患者と家族のニーズの多様性を示唆するものです。また、ホスピス,イコール医療ではないという意味です。 しかし、どうして日本ではホスピスの元々の理念が曲解されたのでしょうか?それは医療や科学の絶対主義が支配したせいでしょうか?ある医師の話では「自分の問題全てを医療が解決してくれるだろう」という日本人の迷信、甘えの精神にも、原因があるとのことです。 ホスピスのテーマを突き詰めると、支える側、支えられる側、両者に啓蒙が必要なのか、公共の哲学の基本には、個人の自己解決、自己責任能力が前提であるのか、と色々考えさせられました。 ▲
by yoshikos11
| 2009-09-29 13:19
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先週よりグリーフ・カウンセラー養成講座「基礎篇」がスタートしました。ブログでもしばしば書いて来たのですが、最近、グリーフ・ケアに対する関心が、高まりつつあることは喜ばしいことです。
今回、基礎篇の初めに、グリーフ・ケアの原点がホスピス理念にきちんと位置づけられ、その理念に沿ってていることを、改めてお話しました。それによって死別体験者のケア、ホスピスケアの両方が死生学のスタートから、その学問の二本柱であることを理解していただきたいと考えたからです。 「ホスピスとは、終末期の患者及びその『家族』のためのホーリスティックな(全人的)専門的ケアである」とその発祥の時点(1968年、英国)から定義されています。そして、患者さんが亡くなった後では、家族は遺族としてホスピス専属のグリーフ・カウンセラーによって、必要とあればケアを受けることができます。 ホスピスの理念には、患者さんと家族の両方がケアの対象であることが、明確化されているだけに、欧米のホスピス(及び、緩和ケア病棟)には、グリーフ・カウンセリングのサービスが義務づけられているわけです。もちろん、そのサービスを受けるか受けないかは、全く、遺族の自由であり、強制するものではありませんが、必要な時、そうしたサポートがあると思えるだけで、安心感を与えると言います。 一方、日本のホスピスには、当初より、なぜかそのような義務づけがないためか、グリーフ・カウンセラーが設置されているという話は、ほとんど聞いた事がありません。(もし、あったらぜひ、経営者の方にご挨拶したいものです!)この状況から考えても、日本のホスピスは、本来のホスピス理念から逸脱しているか、少なくとも,片手落ちではないかと思えてなりません。 近い将来に、真の意味のホスピスが日本でも理解されることを、切に願って止みません。しかし、先日,著名なホスピス医、谷荘吉先生のお話を聴講したばかりですが、グリーフ・ケアに限らず、日本のホスピス(緩和ケア)の現状が、どんどん、本来の有り様から離れて行っているとの話を聞きました。国民性、文化の違いによって、アジャストする部分があって当然とは思いますが、ホンモノが骨抜きにされては、何の意味もないのではと嘆いた次第です。 谷荘吉先生の講演については、頁と日を改め、書きたいと思っています。 ▲
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| 2009-09-29 02:55
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先日は、IL DIVO速報を何はともあれ書きました。再び同じテーマについて。私は音楽通でもないし、熱狂的なファンのように、コマメにIL DIVOのサイトをチェックしたりということもありません。感覚的に、自分のテーストにピタリと来る彼らの音楽を楽しんでいると言う、静かなファンです。オペラとポップスのコラボ(ポペラと言うそうですね)が実に心地良いのです。
4人のメンバーのうち、特に誰がお気に入りなのか、ということがIl DIVOファンの間で常に話題になっています。コンサートに同行した友人は「何たって、それはカルロスでしょ!」と言います。彼が一番、オペラ歌手丸出しで4人がハモッても、常に彼のバリトンが群を抜いて響きます。友人によると「IL DIVOがIL DIVOである由縁はカルロス」なんだそうです。ごもっともです。しかし、4人が全員カルロスのように響いたら、もう、迫力がありすぎて疲れてしまいます。 それに比べて私は、デイビッドのソフトなテナーの美しさとやさしさに魅了されています。特に、アダージオというクラシック曲のソロを歌う時、彼の声は天上から聞こえて来る天使の声のように清廉です。オペラ歌手としても、ウェストサイド・ストリーのトニー役、ラ・ボーエムのラドルフ役、ロミオとジュリエットのロミオ役をやったキャリアがあり、頷けます。 一方、一人だけオペラ出身でないセバスチャン(フランスのポップの人気歌手)は、群を抜いて歌が「うまい!」と思います。何曲かの歌い出しには、セバスチャンがソロでリード役に器用されていることからも、なるほどと思います。歌い出しが実にスムースで、私たちはスッとその曲のムードに吸い込まれていきます。うまく説明できませんが、あれは天才的ですね。ちなみに、私の仕事仲間はセバスチャン・ファンのようです。 最後に、ウルスについて。彼は比較的若い層に(と言ってもファンの平均年齢は50歳です!)人気があるようです。友人は、今回、彼が一番成長した,前よりも歌が上手になったということですが、これまではちょっと固かったという意味かもしれません。しかし、コンサートでも熱狂的なファンが近くにいて、彼が歌う度に「ウルス。ウルス、ブラボー」と大騒ぎしていました。(ちょっと、ウルサかった!) IL DIVOの高い音楽性が世界中を熱狂させたことは間違いないのですが、にもかかわらず、彼らはエンターテナーに徹した、「初心ここにあり」と言うような謙虚さを感じさせ、また、アーティストとしての情熱と知的でクールな態度のバランスが、現代人に受ける気がします。 ▲
by yoshikos11
| 2009-09-22 19:52
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![]() 「神は二物を与えない」と言いますが、例外、ありますね。IL DIVOは生まれながらの美声と音楽的才能に加えて、容姿端麗、人柄もチャーミング。 IL DIVOの魅力はクラッシックとポピュラーの微妙なバランスにあり、とは、メンバーの一人、Davidの言葉どおりですが、この路線はアンドレア・ボチェッリのような本格的オペラ歌手が試みて成功済み。しかし、4名のハーモニーでこれを狙った仕掛け人、プロデューサーはスゴい。 武道館を埋め尽くした観客の90%は女性、しかも平均年齢50歳以上。夕べは東京中から来た中高年女性たちがIL DIVOにつかの間の夢を見させてもらいました。私もその一人です。 ▲
by yoshikos11
| 2009-09-18 13:22
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先日、雲一つない快晴の日に、家に閉じこもっていては「もったいない」と思い、本を片手に散歩することにしました。家からそう遠くない北の丸公園を目指して歩きました。竹橋の桜並木を行くと、皇居内の銀杏、樫、欅など天を突き破る程の巨木が目を引き、圧巻です。初秋の風が心地よく、気分爽快でした。公園の界わいには、国立近代美術館があり、その中に立派なカフェがあるのでテラス席に陣取って、ゆっくり読書をしよう、というのがプランでした。
テラスは秋の日をいっぱいに浴びて、三々五々置いてある大きなオリーブの鉢や真っ白なパラソルが映えて、どこか南仏あたりのリゾートを思わせる雰囲気がありました。 とここまでは、ご機嫌の私でしたが、カフェは美術館のお客が流れて来て、大変混み合い、受け付けで大勢順番待ちをしていました。希望のテラスに座らせてもらうまで30分以上、待たされてしまいました。 自分の名前を記載して待っていたのですが、ふっと気付くと、私より後に来たグループ客が3~4組次々に席に通されています。忘れられたのか、テラス席は空いてないのか、次第に落ちつかなくなりました。やおら立ち上がり案内係に声をかけました。「さっきから、ずっとと待っているのですが、まだでしょうか?」と私。彼女、いとも事務的に「どなた様?」と名前を聞き出し,順番表をチェック。やっと忘れていたことに気付いたのでしょう。 けれど、そのことを認めるわけでもなく、詫びるわけでもなく「じゃあ、こちらへどうぞ」と案内しました。一人ぽっちの客だから軽視されたのか。だとしたら無礼千万と思いましたが、こんな良い天気の日に、こんなことで怒りたくなかったので黙っていました。 さて、やっと念願のテラス席に座ったのですが、待てどくらせど注文を取りにきません。室内の客に対応するので手一杯なのです。 15分は待ったでしょうか。とうとう立ち上がり、室内に入ってウェイターを掴まえてテラスへ連れて来て注文しました。ウェイターも「お待たせしました」の一言もありません。段々気分が悪くなるのを押さえて,本に集中するようにしました。「こんな良い日に怒りたくない」と再び自分に言い聞かせて。何とかお魚のランチにありつけたものの、味も素っ気もない気がしました。 この日、三つ目に驚いたこと。実は、テラスには道路から直接入れるようになっているので、屋内入口の受け付けを通らずに入って来て、勝手に座ることもできるのです。中年のおばさんがいつの間にか、私の前の席に座ったかと思ったら、バッグからアンパンの袋とペットボトルのお茶を取り出し、堂々と拡げてパクパク食べ出したのです。 「エエッ!ここってレストランなのに?」と目を疑いました。またもや興ざめです。ウェイターも滅多に来ないので誰も咎める様子もなく、そのうちおばさん、食べ終わって堂々と出て行きました。折しも美術館では「ゴーギャン展」をやっていてごった返していたのです。 このカフェ(Queen Alice Aqua)、特にテラスが広々として皇居の樹々を見渡せてとってもお気に入りだったのですが、美術館で人気のイベントをやっている時は混乱、サービスはゼロ、「最悪」なのでお薦めしません。自分のサンドイッチをバッグに偲ばせて、そっと入り込めば別ですが。 ▲
by yoshikos11
| 2009-09-17 05:34
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先週土曜日には第7回目の「グリーフ入門講座」を開催しました。ありがたいことに、毎月、何人かの方々が参加して下さっています。今回は、グリーフで苦しむ人々を支援する立場の方々が多かったです。
その中で、死産や流産で赤ちゃんを亡くされたお母さんを支える会(サポート・グループ)の主催者の方々がいらっしゃいました。主催者であると同時に、ご自身も流産の経験がおありで会を設立されたそうです。また、会を指導されている看護学の専門家の先生もご参加くださいました。 お母さんのお腹の中で何週間か育っていた赤ちゃんが、ある日突然、動かなくなってしまう。お母さんにとって脅威ですね。いたたまれない気持ちでしょう。やがて、医師より胎児の死の宣告を受ける。そのショックはどんなでしょうか。 ショックから立直れないうちに、直ぐに手術をするか、人工的に陣痛を起してお産をする。同じお腹を痛めるにしても、新しい命の誕生の為なら苦しみにも意味が見出せるものの、苦しみのために苦しむとは一体どう受止めたら良いのでしょうか。想像を越えています。 「胎児は、文字通り自分の体と一体化しているので、その死はまさに身を切られる思いで、いいようのない喪失感に襲われる」と先生が言われました。経験者でなければ分らない苦しみでしょう。その意味で同じ経験をした方々が、集って支え合うことには大きな意義がありますね。 世間一般は、死産や流産を喪失として考えてきませんでした。今回、お話を聞いてこのようなサポート・グループの活動や存在を皆が知るようになり、これまで人目に触れにくかったグリーフが少しでも理解されるようになることを願わずにはいられません。 ▲
by yoshikos11
| 2009-09-16 01:50
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![]() あれから8年もの月日が経ったようですが、WTC のツインタワーにハイジャックされた飛行機が、クラッシュしたあのシーン、テレビで見た時の驚きは忘れられません。 最初の一機がノースタワーに突撃したのを見た時には、飛行機事故?機体がコントロールを失った?と思いました。しかし、続いて二機目がサウスタワーにぶつかったのを見た時、「エエッ!これは事故なんかではない、意図的な攻撃だ」と直感しました。 当時、私はカナダに留学中だったので独りで自宅でテレビを見ていました。テレビのアナウンサーは、「Oh my God, oh my God」を繰り返していました。目撃したあの破壊的シーンは、私の目にも、シュール・リアルな、まるで、映画のトリックでも見るような、とても信じられない光景でした。しばらく要領を得ないので不気味な感じがしました。 そのうち、サンフランシスコ在住の娘が電話をして来ました。「ママ、テレビを見て。大変よ。今朝、出社したら今日は、自宅で待機するようにって、帰されたの」と興奮して言いました。彼女の勤務先は当時、サンフランシスコで一番高層のビルにあり、NYの次はSFのビルがやられれかもしれないと噂が流れたらしいのです。それは単なる噂に終わりました。 やがてテロ事件と分るまでどの位の時間がかかったことでしょうか。大学では学生たちのショックやトラウマ対策として、直ぐに特設のカウンセリング・センター設置と、通知が入りました。また、翌日には学生会館で5大宗教の司祭が集り、追悼礼拝が執り行われました。 あの悲惨な事件で、3000人近い一般市民が犠牲になったのですね。金融関係の若い人が多数亡くなりました。その後、アメリカはテロとの戦争を宣言。過去二つの戦争では6000人もの兵士が亡くなり、イラク、アフガン市民も十数万、犠牲になりました。 「力によって力を制することはできない」私たちは教訓を得たと思いたいのですが、戦(いくさ)はまだ続いています。「花はどこへ行った」の最後のリフレイン、「一体,人はいつになったら、学ぶことができるのだろう?」が虚しく響きます。 ▲
by yoshikos11
| 2009-09-12 03:38
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![]() 朝夕はめっきり涼しくなりました。蒸し暑い日々から解放されてホッとします。気がつくと、いつの間にか初秋の気配ですね。花屋さんの店頭で小さな秋を見つけました。ピメントス、ホウズキ、カボチャ,青リンゴ。並べてて眺めることに。 明日から、GCC講座の秋学期が始まります。前回の基礎篇修了者は熱心な方が多くて、9割の方が上級篇に進まれることになりました。皆さんグリーフ・カウンセラー志望のようなので頼もしい限りです。 今週末の「一日グリーフ講座・入門篇」には、医療関係の方々の参加申し込みが多数なのです。この夏以来、医療者の方々のグリーフケアに対する御関心の強さには、目を見張る思いです。うれしいですね。講師としても出来る限りお役に立てればと思っています。 この秋はGCC講座の他に、麗沢大学生涯教育、桜美林大学アカデミーでの講師の仕事もあり、暮れには海外講師のワークショップも企画していますので、かなり多忙になりそうです。一つ一つ、全力投球で、そしてちょっとした暇を見つけて、日本の秋をめでたいものです。 ▲
by yoshikos11
| 2009-09-08 02:30
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先日祖父、田子一民のことを紹介しましたが、私の説明は舌ったらずだったので「どんな政治家」だったのか、その自叙伝から引用したいと思います。それは郷里岩手県で執り行われた祖父の葬儀の際、父が家族を代表して、支援して下さった方々へご挨拶したときの記録の一節です。
「父(田子一民)は南部藩の貧乏な家庭に生まれ、幼にして父親を失い、幼少の折りに貧乏の苦しみを充分味わったので、この時に既に貧しい人々、恵まれない人々の役に立つ仕事をしようと、決心したものと察せられ、この決心と努力は一生を通じて変わらなかったと思うのです。官界を通じて、或いは政界を通じて、この事は片時も父の念頭から離れたことは無かったと思います」 「父がその使命に対して渾身の努力を傾け続けた点においては、決して人後に落ちなかったものと信ずるのであります。率直に申し上げて、父が政治家として所謂立身出世という点から考えますと、必ずしも恵まれていたとは思っておりません。余りにも生真面目なために、又余りにも清廉なために、更に余りにも恬淡なために損をしたということもあろうかと思います」 「しかしながら、利害打算を離れて、皆様方のように心から信頼を寄せて下さった方がどれだけあったかということになりますと、父程、恵まれた政治家はそう沢山は無いのではないかと思うのです。もしも人間の価値が、強く正しく誠実に努力したか否かによって決められるものとすれば、私は父に躊躇なく合格点をつけるのでありまして、むしろ私は私利私欲を離れ、清廉潔白に終始した父に尊敬と感謝とを捧げるのであります。」 「皆様方もこのような意味合いに於いて父を評価して下さり、父が皆様方のご信頼に答えるためにひたすら努力をしたということを、ご理解くださいますなら、本人の満足これにすぎるものはないと存じます」(於いて郷里盛岡市谷村文化センター、田子一民葬儀にて、次男稔ご挨拶より、1963年 10月1日) 最愛の家族から「尊敬と感謝を捧げる」そのような弔辞を送られ世を去った祖父は、幸せな人だったと思え、また、祖父の後を継いで政治家の道を志すことがなかった父ですが、生涯、祖父の一番の理解者であり、祖父の志を支え続けたのだと改めて父の気持ちも分る気がしています。 ▲
by yoshikos11
| 2009-09-05 11:52
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仕事が山積みだというのに、なぜか、選挙というと私は夢中になってしまうようです。政治には関心がないと言いながらどこかで血が騒ぐみたいなのです。実は、父方の祖父が戦前戦後を通して、自民党の国会議員でした。
物心ついて以来、選挙の度に一家で結果をドキドキしながた聞いていました。父は選挙の度に仕事を休んで祖父の地元岩手県(第一区)へ応援に飛んで行き、祖父と共に(時には祖父の代理で)県内各地で遊説していました。祖父の名は田子一民(たご・いちみん)と言います。 祖父は33代目衆議院議長を務め、戦後要職にあったことで公職追放の憂き目に合いました。祖父は生涯平和主義者であり、太平洋戦争突入に際しても「日本の決断は間違っている」と家族には言っていたそうですが(もちろん、公には言えない状況でした)戦争の責任だけは取らされたわけです。追放解除になった日、父が躍り上がって喜んでいたことを今も鮮明に思い出します。戦後初めての衆院選に再出馬したときには、長い間公職を離れていたにも関わらず、地元岩手の方々は有り難いことに祖父のことを覚えていて下さり、全国最高点で当選を果たさせて頂きました。 あの頃、小沢一郎氏の父上や後に総理大臣に付いた鈴木善幸氏などが同郷で,選挙を共に戦った同世代でした。その後、祖父は吉田内閣(麻生さんのお祖父さん)の大臣などの要職にもつきましたが、祖父についての誇りは、そう言った権威についてではありません。 祖父は父親を早くに亡くし家が貧しく、小学生のときから印刷所の丁稚奉公をしながら、学問を志し、働きながら東大を卒業しました。そのせいでしょう。貧しい人,苦学生、母子家庭の方々には人一倍同情心を抱いていました。(困っている人に出会うと、涙し、財布ごと差し上げてしまうと、祖母はこぼしていました) 政治家を志す以前(官僚でした)から、欧米の社会事業を度々視察し、いち早く日本に社会福祉事業の理念を導入。そして全国社会福祉協議会の設立に貢献し、初代会長に就任しました(1955)日本の社会福祉事業の礎を築き、生涯その発展のために尽くしました。 父を含めて息子は4人いましたが、誰も祖父の地盤を継ぐ事はありませんでした。家族は「世襲」には興味がなかったのです。それで岩手県との繋がりが途切れてしまったことは、大変残念に思います。特に、父は祖父の活動を側でずっと支えて来たし、また、演説も祖父そっくりだったそうで、地元の方々からは出馬を薦められていたようですが、父曰く「公僕になるには、家庭を犠牲にする覚悟が必要。自分は家庭を投げ打つ気はない」と言っていました。 父は本当に家庭を大切にした人でしたから、この言葉は本心だったと思います。一方で、日本の福祉事業や国民の幸福の為に生涯を捧げた祖父の情熱や高邁な精神には、とうてい太刀打ちできないと思ったのかもしれません。 時代も変わり世も変わりましたが、新たな日本の歴史が開くと言われる今、国家のリーダーたちには「高い志」の為に闘って欲しいとあらためて思います。 ▲
by yoshikos11
| 2009-09-03 15:17
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