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NHKの特番「無縁社会」について多数の方からご意見をいただき、あれから色々考えていたのですが、「直葬」が増えた最大の理由は、貧困や独居の増加というよりも(NHKはそのことを強調していましたが)、何と言っても高齢者人口の増加ではないかと思えて来ました。
最近のベストセラー、島田裕巳著「葬式は,要らない」で同じことが指摘されています。確かに90歳以上の方には、兄弟姉妹や、いとこたち、友人などがほとんどいなくなり、亡くなった場合にごく身内のほか葬儀に来る人がほとんどいないのが通常でしょう。ひっそりと家族葬や直葬を執り行うのが理にかなっているのかもしれません。 ある方が「会社の大先輩(恐らく80歳以上)が亡くなり、葬式に行ったけど、チラホラとしか参列者がいなくて、年寄りの葬式は実に寂しいものだなあ」と言っていました。 しかし、葬儀に参列するしないの決断は、必ずしも故人を知る知らないとは関係なく、遺族との関係で礼を尽くしたいと思えば行くことがあるわけです。島田氏も「故人の交友関係について、遺族が知らないこともあるので、さっさと家族葬にしたら、後で『なぜ報せてくれなかったんだ』と何人かの人から苦情を言われた」というケースもあるとのことです。「お線香だけでも上げさせて下さい」と後日自宅に来客が次々とあり、葬式を簡略にした分、あとが大変だったとか。 私も「なんで知らせてくれなかったの!」「水くさい」と思ったことがあります。学生時代の友人のご主人が亡くなって、数ヶ月経ったころ偶然知ることとなり、「知っていたらぜひご葬儀に伺いたかったのに」と残念に思いました。友人は私の夫が亡くなった時には、葬儀に来てくれたので,礼を返したかったのです。亡くなったご主人とは面識はなかったけれど、彼女を慰めたい気持ちがありました。 確かに、現代人は皆忙しいので「人さまを煩わせたくない」「迷惑をかけたくない」「高齢なので死ぬことは順当(当たりまえの)だからオオゴトにしたくない」など相手のことを配慮してか、「内輪に内輪に」という傾向になってきたのでしょう。 しかし、例え何歳になっても一人の人が死ぬということは、オオゴトには違いありません。いくら忙しくても、人の生き死により優先順位が高い仕事や約束ごとが、そうそうあってしかるべきではない気がします。「直葬」が増えた背景にありそうなことで、私が一番気になることは、こうした「現代主義」の徹底と偏重なのです。 私のサイトもよろしく:http://www.gcctokyo.com ▲
by yoshikos11
| 2010-04-27 03:18
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夕べブログを書き終わったら明け方の4時になってしまいました。頭が大分朦朧としており「尊厳死」などという重大なテーマについて考えるには、ふさわしい状態ではありませんでした。それで何か大切なことを伝えそびれたような気がして、再度チャレンジしようと思います。
まず、私は死生学を修学したとは言え、同じ死生学でも興味と関心は「終末期」(end of life)よりも「死別」(ビリーブメント)と言うことがあり、前者の話題はどうもスムースに話せないのかもしれません。後者は自分の体験があるので、色々想像を巡らせて筆も進むのだと思います。 さて、「尊厳死」について、いつも思い出すのはカナダでの有名な判例で、スー・ロドリゲスのケースです。ロドリゲス嬢(当時、40歳前半)はALSの患者でしたが、症状悪化が進む前に自らの命を絶ちたいと希望します。身体機能を全て失って自分らしく生きることができないのなら、死を選びたいし、自死が可能な今、実行したいと訴えます。主治医も彼女に同情して、自殺幇助に賛成します。しかしカナダの現行の法律では自殺幇助は許されませんでした。 そこで、ロドリゲス嬢は国を相手に裁判を要求します。その結果、自殺幇助に対して、判事の判決は反対VS賛成が、接戦で5対4に別れました。反対派の言い分は「人の命は根源的に神聖なるもの、何人たりとも〜自己も含めて〜それを侵すことは許されない」というもの。一方、賛成派は「人間の尊厳は自己決定にあり、それを保証するのは選択の自由である。身体的機能を失ってはその自由も奪われるので、尊厳を維持することは不可能。よって、原告は自由を尊守する意味で自殺を認める」ということでした。 要するに、この判例では「命の根源的な不可侵性」対「尊厳維持のための自己決定権」という二つの主張に分かれたということです。そして、判決が5:4という接戦であったことが、如何に「尊厳死」が難しい問題であるかが分ります。 裏話として、結果的にはロドリゲス嬢敗訴しましたが、彼女の医師が法に触れない何らかのやり方で、彼女が命を絶つことを間接的に支援したと言う話でした。 ここで興味ある点は、「命の神聖性」を主張した判事が「決して宗教的な意味で言っているのではない」と強調したことです。キリスト教を持ち出すまでもなく、人間であれば命に対して畏敬の念を持っているという意味なのでしょう。 今夜はこれくらいにします。 私のサイトもよろしく:http://www.gcctokyo.com ▲
by yoshikos11
| 2010-04-25 03:58
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![]() 慶応看護学部の加藤真三先生、聖ヨハネ桜町病院の石島医師、パストラルケア研究所のキッペス神父の3名でした。加藤先生のお話では、尊厳死や脳死の定義、医療事例の検証、最近発表された厚労省、医師会、救急医療団体などの「尊厳死」を認めるためのガイドラインについてなど、説明がありました。いずれも、一般人としても押さえているべき知識、私自身、知らないこともあり良い学習ができました。 しかし、「脳死」を人の死と認めるか否か、これは本当に難しい問題ですね。脳の前頭葉の機能がダメになることを植物人間状態と言うとのことですが、たとえそうなっても、人間の精神性の何かが、すなわち「心」がどこかに残されている可能性もあると言うことで、この実証は未だできないそうです。 石島先生は植物人間状態になった患者さんを数多く診て来られたご経験から、そう言う患者さんにしてあげられることがほとんどないことで、医師としては徒労感を禁じえないのだと言われました。また、ご自身はそうなったら「尊厳死」させて欲しいと思うと言われたことは、考えさせられました。 キッペス先生は、その辛口というか、うがったものの見方で「あっ」と思わされることが多いのですが、尊厳死とか死の問題を「生」の問題と切り離しては考えられないということを強調され、特に、「自分の生を大切にして生きて来なかった人が、尊厳死について論ずる意味がない」と言われたことが心に残っています。また、尊厳死のテーマを、死後の世界を視野に入れずに語ることがどこまでできるのか、限界があるというようなご意見だったと思います。 先生方のお話を聞いて思ったこと。自分のこととして、日頃から万一自分が「脳死」状態になったら、どうして欲しいか家族に語っておくことが極めて大切であり、また、遺言に書き知るしておくことが重要だと痛感したのでした。そう思いつつ、生きることに追われており、死ぬことについての準備は中々着手できすにいます。 ▲
by yoshikos11
| 2010-04-24 03:52
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豊島医師が「救えない命もある」「私はスーパーマンではない」とアピールされたことで、「あれっ、つい先日、同じことを産科医の口からも聞いたぞ!」と思いました。流産死産経験者の勉強会(ポコズママの会)で、産科医の竹内正人医師が訴えていたのです。医療者のこの叫び、重く受止めるべきでしょう。彼らは世に蔓延する「科学万能信仰」のプレッシャーと闘っていると実感しました。
もちろん科学の恩恵を否定するつもりは毛頭ありません。かつては、出生体重500グラムの赤ちゃんが助かると思った人はどれだけいたでしょうか。今は、90%近い確率で助かるのですから、まさに科学の恩恵ですし、当事者にとったらたいへんな感動でしょう。「医療チームに感謝してもしきれない」「大切に大切に育てます」という親たちの声からそれが伝わってきます。 豊島医師は「限られた資源の中でやらせてもらった」と親に伝え、NICUのサービスには莫大なお金(国家予算)も掛かっていることを、親たちに認識してもらうそうです。 「助かって当たり前」ではなく「助かることは恵み」なんだと皆が認識することが大切で、そのことで医療者のプレッシャーを少しは軽減できるのかもしれません。 そして万一「助からなかった」とき、当事者の悲しみや落胆は想像以上と察しますが、悲しみを「なかったこと」にするのではなく、本人も周囲もむしろ悲しみを大切にして欲しいと思います。 悲しむ10パーセントの親を支える医療者の心の負担は、並大抵ではないと常々、生の声を聞いています。そのため、グリーフ・ケアを学びたいと言う方々も増えているほどです。現場を知らない私が言うのは不遜かもしれませんが「赤ちゃんの命の生き証人」である医療者は、既に大きな役割を果たしたと思って欲しいのです。生き証人がいると言うことが、親たちにとって生涯心の支えになると思うからです。 豊島医師が紹介された事例の中で、生命倫理の難題を絡むケースがありました。「生後心臓停止状態、強心薬注射で心臓を再起動させた。しかし脳の重度障害が避けられないことは歴然」救命することが赤ちゃんと親にとって生涯の重荷であろうことは、充分予想されたそうです。 生命倫理論―ー大切ですが――別の機会に譲るとして、豊島医師は「たとえ一分でも一秒でも余計に、親御さんの手に赤ちゃんを抱かせて上げたかった」と言う思いから救命処置をされたとのことでした。 グリーフ・ケアの視点から、たとえ死産であっても、赤ちゃんを抱く時間があったことで、親御さんは、その思い出をよすがに赤ちゃんとの絆が末永く継続すると言われています。愛情の絆はグリーフからの立ち直りにたいへん重要です。豊島医師の咄嗟の判断は(一分一秒を争う中で)この意味で正当性があり、何より人間愛の深さを感じさせるものだと思いました。 今回の講演は、死生学を探求する者にとって実に多くを示唆するものでした。企画して下さったベグライテンの世話役の方々に多いに感謝しています。(まだ、書き足りません。いずれNO3を試みることにして、今は、仕事が山積みなのでこのくらいで!) 私のサイトもよろしく: http://www.gcctokyo.com ▲
by yoshikos11
| 2010-04-18 15:20
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今日は講演「NICUの日々〜生まれる喜びと死の悲しみが混在する現場から」を聴講してきました。講師は豊島 勝昭先生(神奈川県立こども医療センター新生児科医長) です。(ベグライン主催)豊島先生は、テレビ朝日の「報道ステーション」やTBSの「朝ズバ」などでも取材されているので、ご存知の方も多いかと思います。私はいずれの番組も見そびれたので、初めて豊島先生のお話を聞きたいへん感動しました。
NICUの医療チームは、小さな小さな命を救うために、人事の限りを尽くして日夜(24時間態勢で)奮闘しています。たった2.5ミリのチューブが呼吸を支える命綱です。一人の医師が24時間張りついて、「言葉を発することのできない」新生児に異変がないか、全身全霊を傾けて見守ります。医師としての使命感を越える何かを見る思いがしました。 赤ちゃんの親たちも薄氷を踏む思いで、生きた心地もしないでしょう。中には「なかったことに」しようと諦めの気持ちになる人たちも少なくないそうです。しかし、あるお母さんが「医療チームが必死で助けようとしている姿を見て励まされ、自分もがんばらなければと思いました」と語っていました。 NICUでの救命率(出生体重に比例)は、日本が世界一とのことですが、豊島先生の新生児科では赤ちゃんの10人にひとりは保育器で最後を迎えるそうです。医療チームの努力が報われて「助かる命」と「助からない命」の明暗を経験するのがこの現場です。 先生はこの現実を踏まえて「いくら医療技術が発展しても、医療は万能ではない。救えない命もある」と言う厳粛な事実を、親たちに事前に伝え心の準備を促すそうです。また分娩には一般が認識している以上に危険や事故の可能性があると言う事も。 豊島先生がそのような警鐘を発する背景には、恐らく医師はスーパーマン、医療や科学は万能という現代人にありがちな思い込みが、NICU利用者にも見られるのかと想像しました。救命率が高くなることは喜ばしいことのはずです。その一方で、高くなればなるほどに、助からなかった赤ちゃんの家族にとっては、なぜ、自分の赤ちゃんだけがダメだったのかと言う思い(ときには怒り)が強く、死を受入れがたいとは聞いていました。 医療の最先端で、日々生と死の狭間で闘う医師の言葉として「科学の進化の情報が溢れる中で、流されない為には死生観が必要です」と豊島先生が言われたことは極めて貴重だと思いました。モラーと言うアメリカの死生学者が言った言葉を思い出します。「かつては、死は個人の精神的な課題であったが、現代は医療技術の課題になった」と。 今日の講演については、まだまだ書きたいことがありますが、今夜はこのくらいにします。養成講座の教材作りに精を出さなければなりません! 私のサイトもよろしく:http://www.gcctokyo.com ▲
by yoshikos11
| 2010-04-18 00:00
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![]() ご病気の方や高齢の方には、この狂った陽気と急激な温度の変化は、体にこたえるのではと心配になります。そして、この現象は日本だけでなく世界的のようです。地球温暖化のせいなんでしょうか? ▲
by yoshikos11
| 2010-04-16 00:32
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by yoshikos11
| 2010-04-15 00:52
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![]() そんな中、今日はちょっと気持ちを静めようと思いつき、有栖川公園を散歩しました。すっかり春ですね。ずっと気温が低かったせいで桜もまだ楽しめました。欅、楓などの新芽が出てうす緑が目にやさしく、花の色とやわらかなコントラストをかもし出していました。 「ああ、一日公園でぼけっとしていたいなあ」思わずそんな気になりましたが、そうもしていられない 我が身でした。 (複数の写真をブログに載せたいのですが、方法が分りません。残念!) 私のサイトもよろしく: http://www.gcctokyo.com ▲
by yoshikos11
| 2010-04-15 00:43
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昨日NHKの報道「無縁社会」についてブログに書いたところ、多数の方からコメントをいただきました。皆様、ありがとうございました。とても参考になります!
死生学者M先生は「アメリカよりも人の絆の壊れ方が激しく、国民全員がホームレス化しているように錯覚します」とありました。家庭崩壊により、家族もバラバラ、家にいながらホームにいる感じがしない、転勤、転職で地域との繋がりを持つ暇さえない状態を指すのでしょうか。 「アメリカでは教会が絆作りに一役買っているのか」と言うお問い合せがありました。確かにそれはあるでしょう。教会は信徒の情報を常に把握し、皆が情報を共有し合い、病気、死別、経済的困窮など苦境にある人には誰かが手を差し伸べるようにしています。 かつては日本もお寺さんがそうした役目を担い、檀家の人たちが気軽に立ち寄って、おしゃべりをする場だったようです。地方では今もそうなのかもしれません。幸い、我が家のお寺さんは東京のど真ん中ですが、住職が気さくな方でお彼岸を始め,年2~3回は世間話をしてきます。 医科大学の教授で死生学者のT先生は「無縁社会」というタイトルを見ただけで視聴する気になれなかったと言われました。確かにとても気がめいる言葉です。また、いかなる「タイトル付け」であれ、一旦付けてしまうと言葉はドンドン一人歩きする心配もあります。ネガティブ面ばかり目がいってしまい勝ちということもあるでしょう。言葉は注意して使う必要がありますね。 サポート・グループを主催しているSさんは、今回、NHKより取材を受け「貴会では、直葬をした方はあったか」と聞かれたそうですが、「当方には 葬儀をやらずにいきなり火葬にされたという方はいませんでした。「無縁」どころか、とても強いきずなで結ばれていた方ばかりだったので。。。」と答えたそうです。実は私にも取材の依頼がありましたが、多忙時で一旦はお断りしました。しかし、GCCで私が出会った方の中にも、直葬をした方はいまだ聞いていません。 最後に、私は「無縁社会」の一つの要因として、「個人主義」の普及があるかと思います。社会学者・上野千鶴子著「お一人さまの老後」にあるように、彼女は、高齢者単身世帯を薦めています。息子や娘との同居は誘われても拒否し、自立的に一人で暮らす方が遥かに自由で自分らしく生きやすいと言っています。家庭の温もりよりも、多少の孤独に耐えても独り身の自由を選ぶと言う意見です。 しかし、その為には、経済面、精神面,両面での「自律」が大前提と上野女史は強調します。特に精神面での自立について、該当する日本人が一体どのくらいいるか疑問があります。「個人主義」では、互いに個々人のユニークさを尊重し、人夫々の無限の可能性を信じ、実現していくことを奨励します。実現のために、家族や周囲の人との絆がどうでも良いと言う意味ではありません。 日本が共同体主義から個人主義へ急速に移行しつつある反面、真の意味の個人主義が理解されておらず、精神的に自立していない人が多いという側面も見逃せないのではと思いました。特に番組で「生涯単身」「単身世帯」のネガティブ面が殊更に強調されていたことは気になりました。独り暮らしであっても精神的に充実して生きる術を身につける努力も大切ではないでしょうか? 私のサイトもよろしく:http://www.gcctokyo.com ▲
by yoshikos11
| 2010-04-06 03:24
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先程、上記タイトルのNHK特番を見ました。これまで報道した番組を、反響が大きかったことから、再編集しまとめたとのことです。現代社会は地縁、血縁の絆が崩壊しつつあることから、誰にも看取られることなく、孤独死する人が増加していると言う社会現象をフォーカスしていました。
孤独死の中には、身元不明者(行旅死亡者と言うそうです)や、仮に特定できても血縁者と疎遠だったことで、引き取り手もなく、置き去りにされたご遺体が急増しているそうです。 また、身よりのない人の死(「無縁死」と言うそうです)に際して、葬儀社が社員の手によって弔うサービスや、無縁仏の遺骨を引き取って納骨するお寺のサービスなどが紹介されました。お寺の住職が「どんな人にも誰かと生きた思い出や経験の数々があるはず。人生の終盤で孤立したからと言って、その痕跡が何も残らないのは不条理です」と語っていたのが印象的でした。 NHKの取材班は「無縁死」の追跡調査をし、氏名不詳とされていた何人かを特定することができ、その方のルーツや生きざまを調べ上げました。故人の写真をクローズアップし、どんな人だったか紹介していましたが、画面を通して、今は亡き無名の方をテレビを見ている私たちが、今、追悼しているような感じがしました。報道が良い供養とも言えるかもしれません。 「孤独死」の急増は、単身世帯の増加と関連があるわけですが、特に、大都市集中型の現代社会に特徴的な、職を求めて上京した地方出身者の問題、孤独や孤立が番組から浮き彫りにされました。仕事に追われて時間も心の余裕もないままに、郷里の家族や友人と疎遠になり、10年以上も没交渉の人たちも珍しくないようです。気がつけば血縁も地縁もいなくなり、人との絆も失ってしまう。 また、家族はあっても家庭を犠牲にし仕事を優先させた結果、定年退職を迎える頃には家族との絆は完全に崩壊し、離婚を迫られ、一人老人ホームに入居する男性の話もありました。現役時代には、社会との接点が会社だけだった。退職したら家族とも社会とも絆がなくなった。経済大成長時代の後遺症と言うべきなのか、コメンテーターの一人は「個人だけの責任とは言いきれず、社会の問題と考えるべき」と言っていました。 「生涯独身者」の急増も現代社会の特徴です。孤独死を予知して葬儀、墓地への埋葬、遺品処理などを生前に契約しておくビジネスもあるとのこと。自分の最後にきちんと責任を持とうと言う気持ちから契約するのでしょう。 さて、生涯独身者の誰もが晩年,孤独で寂しく、虚しく思っているわけではないと想像しますが、報道はそんなイメージを強調している点、独身者に対するバイアスがあると思いました。生涯独身者の中には、恐らく研究やキャリア訴求のためにあえて独身を貫き、生き甲斐や充実感を持って生きている人もいるはずだからです。 「無縁社会」という言葉の響きが、何とも寂しく寒々しい感じがしました。取材された単身世帯の男性(50代)が「人との繋がりがなくなると、自分は存在しないのと同じ」と言った言葉には、胸が傷みました。「絆の壊れてしまった社会」今後、どうしたら良いのでしょうか。NPO団体などが絆の推進運動をやっているようですが、この問題は根深く、日本人の精神性や実存のテーマと関連づけて問うてみる必要もあるかと思いました。 私のサイトもよろしく:http;//www.gcctokyo.com ▲
by yoshikos11
| 2010-04-04 00:21
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