男性のグリーフ

「これからは、男性のグリーフに目を向けるべき」 最近ある会議でデ−ケン先生がそのような発言をされました。裏を返せば、それだけ男性は日頃辛い感情を外に発散していないという事になります。

洋の東西を問わず、男性は人前では絶対「泣かない」「弱音を吐かない」「感情を露にしない」という定説があります。これを"social conditioning"(社会的条件付け)という のですが、幼少時代から「男の子なんだから、泣くな」と親から言われて育つうちに、感情を押さえる訓練が出来てしまったと言えましょう。

もっとも「怒り」という感情だけは別のようで、「悲しい」とか「情けない」というような他の感情も男性の場合は「怒り」の形をとって表す事が多いと言われます。

ストレートに出せない感情は押し殺すわけですが、それが自然に消滅することはないので、心の奥底に溜まっていきます。そしてある許容量を越えると爆発。暴力という形を取るか、または暴力的な映画やテレビの画面でカタルシスするなどがそれに当たります。

米国の前大統領クリントンのイメージをひどく損なったモニカ・レウィンスキーとのスキャンダルもその一例だと言います。クリントン氏は、その事件の少し前に母親を亡くしました。ところが、母の死を十分悼む間もなく、サミットに参加しなければならなかった事情があったそうです。要するにグリーフする時間がなくて、押さえていたものがある時点で爆発したのが、あのスキャンダルだったとか。そう考えるとクリントン氏にも同情できませんか?

この世界から戦争が絶えないのも、究極男性がガス抜きする場である「戦争」を必要としているのではないか、と疑う人さえいます。暴力や戦争を撲滅させる為にも「男性のグリーフ・ケア」が急務なのかもしれません。デ−ケン先生がおっしゃるとおり。

最近、私は3人の男性のグリーフ・ストーリーを読みました。1) 江藤 淳「妻と私」 2) 倉嶋 厚 「やまない雨はない」:妻の死、うつ病、それから 3) 永 六輔 「妻の大往生」 でした。特に、江藤氏と倉嶋氏の張り裂けそうな心、落ち込みの様子は胸にぐっと迫るものがありました。生涯溜めていた感情が妻の死をきっかけに一挙に吹き出たと思ったほどです。

永氏は、二人の気丈な娘さん達に支えられて、ちょっと事情が違ったのかなあと思いました。少なくともパニック状態は感じませんでした。いずれにしろ、これらのグリーフ・ストーリーを読んだ限り、外に現さないからと言って、男性が痛みを感じていないわけではないことが十二分に分ります。

いずれ、男性ばかりのグリーフ・グループを開いて、少しでも苦痛を解放するお手伝いができればと思っています。そこでは、「男の子のくせに泣くな」などと言う人は誰もいないはずです。
# by Yoshikos11 | 2007-03-07 18:47 | Comments(2)

グリーフ・カウンセラー養成講座 4月5日スタート 他

グリーフについて学問的に学びたいという方々のご要望にお応えして、4月から「グリーフ・カウンセラー養成講座」を始めることになりました。既に死別体験者を支えている方、将来グリーフ・カウンセラーを志望されている方、そこまで具体的には考えていないが御自身の喪失体験をより深く理解したいという方など、講座に対する期待は様々のようです。

最初は少人数の教室になるかと思いますが、私がこれまでグリーフについて学んで来たことを出来るだけ広く、深くお教えできればと思っています。4月5日の初回まで準備に追われそうですが、張り切っています。ご期待下さい。

ご興味のある方、詳しい日程などはホームページをご覧になって下さい。
http://www.gcctokyo.com

先週は、二つの講演を聞きに行って来ました。一つは、精神科医の平山正実先生の「生きづらい若者たちの生と死」(尾崎豊論)、もう一つは夜回り先生こと水谷修先生の「子供を救え!」でした。主催も会場も違うのですが、偶然にも、両方の講演者の叫びが呼応していました。

両者とも、バブル崩壊後の負の部分ー効率一辺倒、徹底的利潤追求、過当競争、弱肉強食ーが徐々に吹き出して、大人たちが心のゆとりを失った為に、今、そのあおりを子供たちがもろに受けて、行き場をなくし犠牲になっていると警鐘をならしていました。

子供たちの「いじめ」「リストカット」「自殺」の問題は、一部の学校、特殊な家庭や子供の間のトラブルなどではありえず、まさに大人の社会の反映で、明らかに社会現象であると言うのです。どちらも深く考えさせられる講演でした。

これも偶然のこと。土曜日にNHKで「企業内のいじめ」というテーマで特集を組んでいました。上司が部下に「いやがらせ」(いじめ)をして、姑息なやり方で辞職に追い込む例を幾つか見せられました。平山、水谷両氏の発言を裏付ける番組でした。
# by Yoshikos11 | 2007-03-06 00:59 | Comments(2)

三寒四温

今週も色々ありました。 励まされたり、癒されたり、苦しんでいる方々に寄り添ったり。

月曜日(19日)はまるで春の陽気。次女が3ヶ月の赤ん坊(Hugoといいます)を連れてひょっこり訪ねてくれたので、一緒に千鳥が淵、北の丸公園を散歩しました。
「近くに最適な場所があるのに、ちっとも散歩しないなあ」と反省していた矢先だったので、出かけられて大満足。Hugoのあどけない笑顔も見たし!

この辺りは桜の名所。あと一ヶ月もしないで花見客でごった返すでことでしょう。もしかして、この暖かさなら桜も明日には狂い咲きしそうな勢いです。ごった返す前の「静けさ」と、開花を待つ「期待感」に満ちた空気を楽しみました。

その後、デ−ケン先生の「ホスピス・ボランティア養成講座」を修了したお仲間、Aさんと Kさんが事務所に訪ねて来て下さいました。御自身の死別体験を大切にして、他者の苦しみを共に担っていこうと言う志を持ったお二人です。じっくり語り合ったのは初めてなのに、3人で夜遅くまでお話が尽きませんでした。同士に出会えて勇気づけられた一日でした。

水曜日(21日)、教会では「灰の水曜日」(Ash Wednesday)と言って、復活祭(Easter)前の40日間(四旬節)のスタートの日にあたります。信徒は「お前は塵(dust)から生まれて、塵(dust)に帰る」と言われ、その印にオデコに灰を塗られます。耳にも、肌にも心地よい経験とは言い難いのですが。しかし、表現があまりにもストレートなのでかえって素直に受けとめられるという事もあります。

「灰の水曜日」は死生学の原点に立たされるような日。そして四旬節は(難しくてここでは説明ができませんが) 春を待つ冬、希望を待ち望むグリーフの期間とでも言ったら良いのでしょうか? 

今週も、グリーフ最中の方達、とても苦しんでいる方達にも多く接して、皆さんがやがて希望の光を見つけてくださることを切に祈りたい気持でした。

金曜日(23日)は出来るだけ「遊ぶ」ことにしています。旧友と久々に映画を見に行きました。「華麗なる恋の舞台で」、サマーセット・モームの小説の映画化です。1930年代、優雅な時代の英国へタイムスリップ。さすがモーム、筋書きがえらく面白かったです。
# by yoshikos11 | 2007-02-24 14:20 | Comments(3)

明日から第2回グループ・カウンセリング開始

いよいよ明日から第2回GCC グループ・カウンセリングが始まります。まず、勇気を出して参加を決断された方々に心からエールを送ります。最初の第一歩がどなたにとっても大変なのですが、その一歩を踏み出すことで、既にグループ・カウンセリングのプログラムの30%(?)は前進したと思っていただきたいです。

私も毎回気持を新たにし、これからの6回に全身全霊を傾倒したいと思っております。良い意味での緊張感と大きな期待を持って臨むつもりです。今回は、ファシリテーター・サブとして強力な協力者、Tさんもお手伝いして下さいます。

昨日は、私の活動、グリーフ・カウンセリングにご興味を持って下さった新聞社の記者の方から御取材を受けました。かつて私がブランド ビジネスに携わっていた時の仲間、Sさんのご紹介でこのような運びになりました。Sさんに感謝。

「一人でも多くの方々にグリーフのことを知っていただきたい」そんな私の願いに呼応するような、またとないチャンスを頂いた気がしていました。グリーフのテーマを中心に、「なぜ今グリーフケアが必要か」というお話をさせていただきました。ついつい熱が入り気がついたら2時間以上。あっという間に時間が経ってしまいました。

長時間、聞いて下さった記者のHさんの忍耐に感謝。Hさんは最近母上を亡くされたとのことで不思議なご縁を感じます。そのせいもあってか、色々私の話に共鳴して下さり、おかげで私も話しやすかったです。Hさんには、激務の傍ら大変でしょうけれど、御自身のグリーフも大切にして頂きたいと思っています。

そして、夕方、突然友人に誘われてクラリネット奏者、ペーター・シュミドールのコンサートを聴きに行きました。期待して行ったモーツアルトの「クラリネット五重奏曲」が中でも一番素晴らしかった。この曲を始めて聴いたのは中学生の頃。ベニー・グッドマンの来日演奏でしたが(彼はクラシックもいけるのです)この世にこんな美しい音楽があるのかと思ったことを、夕べは思い出していました。

好きな物は何歳になっても変わらないみたいですね。

再び音楽に癒されて、満たされた気分で帰路に向かいました。上野公園には春の気配が既に感じられました。桜の便りも近いのでしょうか。
# by yoshikos11 | 2007-02-14 13:49 | Comments(0)

グループ・カウンセリング修了者の集い

グループ・カウンセリング(GC)に参加した方々は、互いに心を解放して最も「辛い思い」を語り合ったことで、その後も気の許せる「心の友だち」仲間になるようです。そんな友達は、まさにグリーフの取り持つご「縁」であり、グリーフの「贈物」と言っても良いでしょう。

そんな仲間を時々思い出しては「皆どうしているかな?」「また、会ってお茶でも飲みながら語り合いたいなあ」と思う方も多いようなので、今年からGCCは月一回を目処に「修了生の集い」(同窓会のノリですが、もと良い呼び名ないでしょうか?)を企画し自由にグリーフを話せる「スペース」を提供することにしました。

もちろん、いつかGCに参加してみようかなという方も、GCCへの窓口としてウェルカムします。

ファシリテーターとして、私自身も修了生の方々がその後どうしていらっしゃるかなと時々思い出しては気にかけているので、そんな方々がお顔を見せて下さることはとても嬉しいのです。

夕べはその第一回。5人が集まりました。少人数でしたけれど新しい方もお一人迎えることができたし、一つの企画がスタートできたことに大いなる喜びを感じています。参加者あってこそ出来たことで、夕べ来て下さった方々に厚く感謝します。

ところでGC「修了生」と言ってもグリーフは生涯のテーマですから、グリーフが修了したわけではないことを強調させてください。

夕べの近況報告の中でもある方が「時も所も関係なく急に悲しくなり泣いてしまいます。でもGCをしたおかげで、悲しくてもOK,泣く事もOK,そう思えるようになった分不安感がありません」と言われました。

グリーフ終了どころか、2週間前に、最愛のお母様を亡くされてまた新たなグリーフを抱えて参加してくださった方もありました。GCで一つのグリーフ――ご主人を亡くされてーーと向合って、やっと一歩前に進めた気がすると言ってくださったばかりでしたのに。

「きっと天国のご主人がこんな時こそ、応援してくださいますよ!」彼女へ私からのお悔やみの言葉です。

「30年前の身内の死が、私の生き方の再構築に繋がりました」と言った方がいらっしゃいました。グリーフが生涯のテーマであることの貴重な証言です。

黒一点の男性の参加者はGCCの貴重な存在です。「男性ってグリーフを認めないし、心の奥深くでは痛みがあるだろうに。なぜ?」と女性達が異口同音に疑問を投げかける中、彼は話して下さる。勇気ある人って本当は「痛み」も認める人の事ではないでしょうか? 

私が師と仰ぐデ−ケン先生が「今後は男性のグリーフが最大の課題」と最近、大きな会議で発言されたことを思い出します。不思議とGCCでは男性のクライアント候補がコンタクトして下さっています。もしかして時代は少しずつ変わりつつあるのかもしれません。

第一回の「集い」、皆さんの貴重なお話を全て書くわけにはいきませんが、まさにグリーフは私たちの生活、家族関係、人生計画の全てを揺さぶるようであり、グリーフを語ることは人生を「マルゴト」語ることだと痛感しました

私にとって学ぶところ大でした。

最後に、今回体調不良で参加出来なかった方が何人かあったので(中にはグリーフが影響?)
ご案じしています。もしかして、外出する気にもなれない程落ち込んでいる方があるのかなあと気にしています。皆の前では話したくない方、メールでもお電話でもOKです。御連絡くださいね。

次回のGCCの「集い」は追って ホームページでお知らせしますので。またふるってご参加くださいね。
# by yoshikos11 | 2007-02-09 13:17 | Comments(0)

GCC ホームページへの反響

何人かの方々から早速「ホームページ見ましたよ!」「おめでとう」「いよいよ本格スタートですね」と御連絡を頂きました。ありがとうございました。ご期待にそえるように頑張りたいと思います!

できるだけ多くの方々にアクセスしていただくために、googleに複数のキーワードを登録しましたが(グリーフ、悲嘆、カウンセリング、癒しなど)実際ワークするには多少時間がかかるらいしいのです。追ってYahooにもと思っています。

早速、GCCの次回のイベントのご紹介です:

グループカウンセリング 修了生の為の「オープン「サポートグループ」開催

日時:2月8日 6:30-8:30PM
場所:千代田プラットフォーム スクウェア 005号室
会費: お茶代として¥1,000

ともにグリーフを分かち合ったなつかしい仲間と再会、互いに近況を語り合うのが目的です。
修了生でなくても、新規の方でグループカウンセリングにご興味があって、「雰囲気、様子を見たい」とお望みの方々も歓迎します。


私はこの一週間、アメリカ在住の娘夫婦が4ヶ月の赤ん坊を連れて里帰りをしていたので、彼等と再会の時間を楽しみました。温暖なカリフォルニアから来ているので、日本の冬が寒いのではないか、赤ん坊が風邪を引かないか、などと心配しましたが、幸い今年の日本は暖冬でまた好天にも恵まれホットしました。

また、夕べは幸運にも IL DIVOのコンサートを聴きに行ったのです。4人組がそれぞれソリストとしても活躍している実力派、超ゴージャスな声の持ち主たち。そのハーモニーはこの世のものとは思えない美しさでした、その迫力。1時間半、夢の世界にいるような気分でした。

私にとって音楽はまさに「癒し」です。今年は沢山音楽を聴きたいし、時間が許せばカウンセリングの一貫としての音楽療法を学びたいと思っています。
# by yoshikos11 | 2007-02-04 00:18 | Comments(0)

ホームページついに開設!!

私の主催するビリーブメント・カウンセリング・センターは、名称を新たにしグリーフ・カウンセリング・センター(Grief Counseling Center–GCC)として、この度ホームページを立ち上げましたのでぜひご覧になって下さい。ご意見、ご感想をお聞かせいただけるとうれしいです。

アクセスは:http://www.gcctokyo.com です。

現在、GCCでは2月中旬にスタート予定の「グリーフ・グループ・カウンセリング」への参加者を募集中です。皆様の周囲でお身内や大切な方を亡くされてグリーフを抱えている方がいらっしゃいましたら、お薦めしてみていただけますか?

今年はブログを頻繁にアップデートする決心をしました。(三日坊主にならないように心して!)

1月は予想外の[遠来の客」の万来!席が暖まる暇がありませんでした。ちなみにある1週間のできごと。

昔ブランドの仕事をしていた時にボスだったビットリオ(元ボッテガ・ヴェネタのオーナー)が新しいビジネスで来日。「Yoshiko、ランチでも一緒にどう?」「ニュービジネスの近況報告をしたいから」と突然の電話。(旧知の遠来の客の誘い、無下には断われません!)

大阪の友人でハンドバックのデザイナー兼会社社長さん「今、展示会で東京に来てるンヨー。会える?」と連絡あり。(去年大阪で会議があった時、泊めてもらったし私の訳書もPRしてくれた。。。ほっとけない!)

京都のホスピスのお医者様から「今日は学会があって東京に来ています。夕方5時には終わるのでその後で、先日依頼した講演の打合せできますか?」(サプライズ!でもこの機会は逃せません!)

そうそう、もう一人京都から、生命倫理学の研究者で友人のカール・ベッカーさんも上京。彼は慶応医大「スピリチュアル研究会」で講演をしました。ベッカーさんに挨拶をするために出席することにしました。

はからずも、共通の知人で死生学の権威、故ジャック・モーガン先生の話題になりました。

とこんな調子で私は飛び出して行きます。内心「あの原稿も、この報告書も、講座の準備もやらなければ」と焦りながら。時間的にはフレックスで仕事をしているので(カウンセリングの日以外)先方の時間にあわせる事は比較的できるのですが、その後時間の帳尻合わせでねじり鉢巻になるのです。

しかし、孔子曰く「友、遠方より来たり。又楽しからずや」 アポなし、突然、偶然の再会や出会いは贅沢な喜びに思えるこの頃です。「人との出会いを大切に」今年のモットーです。
剛子


# by yoshikos11 | 2007-01-26 12:30 | Comments(0)

グリーフをとおしての出会い

暑中お見舞い申し上げます。
 しかし毎日蒸し暑いですね。この季節になると4年半過ごしたカナダの夏が恋しくなります。真夏でもせいぜい室温23度くらい。22度に下がるとセーターを着込みます。夏でも部屋のエアコンなしで大抵しのげるわけです。その代わり、あの国の人たちは厳しく長い冬(マイナス20度の日々、6週間も降り止まない大雪!)を耐えるのですから、その代わりに輝かしく清々しい夏を謳歌するのは当然のご褒美、権利なのかもしれません。
 私は東京にいて、夏に旅行したカナダのCape Breton島,Prince Edward島、Quebecの北端にあるGaspeの雄大で、果てしなく広がる紺碧の海、澄み渡った空、心地よい潮風を思い起こしながら暑気払いをすることにします。
 さて、グリーフを経験したことで出会った人々について、少しずつご紹介したいと思います。カナダへは、グリーフについて勉強しに行ったのですから、その意味ではあそこで出会った人々は全てグリーフのとり持つ縁ということにるのですが――心の友という人々が次々と思い出されますがーーNO.1バッターは何といっても聖路加国際病院の元チャプレン、パウロ佐々木道人先生(以降パウロ先生)です。主治医に「ご主人の命は時間の問題」と言われ―ー死の宣告を受けを受けた直後ーー私がにっちもさっちもいかなくなった、人生最悪の時に出会ったのがパウロ先生でした。最悪の私の姿を知っている唯一の人です。
 パウロ先生は、先日このブログに登場した同じく聖路加病院、小児科医のナキベソ先生とは仲良しだと伺っています。(両者から)。共通点は、お二人とも患者やその遺族と一緒になって「グリーフ」してしまう点でしょうか? パウロ先生には、自分もお世話になりながら、いつだったか「先生、そんなに悲しんでご自分は大丈夫ですか?」などと生意気なことをつい口走ってしまった私でした。
 パウロ先生に感謝することは山ほどあるのですがーーむしろあの方にあの時出会っていなかったら、私は今こうして平穏に暮らしてはいられなかったーー中でも心身の苦痛や死の不安と闘っていた闘病中の夫昌平に、パウロ先生は、スピリチャル・ケアを提供してくださったのです。その点ではほとんど無力に等しかった私は勿論のこと、パウロ先生の他にはあの時昌平を支えられた人は誰もありませんでした。感謝してもしきれません。
 パウロ先生のことを、私は[wounded healer](傷を持った癒し手)といつからか勝手に名付けています。平たく言うと「人の痛みの分る人」であり、「一緒に悲しむことが出来る人」となるでしょう。先生の傷についてやがて知ることになったのですが、パウロ先生と奥様はご長男を3歳で亡くされました。そのときのことを回想して先生は「息子のお葬式では、泣きっぱなしで式が式にならなかった」と言っておられました。
 ご夫妻のこの悲劇が、直接チャプレンになられるきっかけになったかどうか、それは私にはわかりません。また勝手に推測するものでもないでしょう。しかし、wounded healerだからこそ、パウロ先生は大勢のグリーフする人たちと一緒に歩むことがお出来になったのでは?と容易に想像できるのではないでしょうか?そう考えると、私は何だか先生の亡きご長男にお礼を言わなければならないーーそんな風に段々思えて来たのです。
 今月5日のことです。その願いがようやくかないました。私は、パウロ先生ご夫妻に同行して、ご長男のお墓参りに谷中の墓地へ行ってきました。私が絶望の深淵にいてパウロ先生に初めて出会ってから12年。一度もお会いしたことがない坊ちゃんに「おかげさまでお世話になりました。ありがとう」とお墓の前でお礼を言いました。感無量でした。白と黄色の小菊をお供えし、先生ご夫妻とご一緒に手を合わせました。
 グリーフの大きな課題は、いかにして亡くなった愛する人とスピリチャルな(あるいは抽象的な)絆を保つかということです。これは自分にとって「身近な故人」との絆という意味に相違ないのですが、それを拡大解釈すれば、そうでない故人とも同じことがいえそうです。パウロ先生をとおして、そのお話や行いをとおして、私はいつしか知らない亡き坊ちゃんの存在を知ったということになります。目に見えるものだけではなく、目に見えないものの存在に思いを馳せるーーグリーフの大切な側面、スピリチュアルな側面です。大切にしたいと思います。

 
# by Yoshikos11 | 2006-07-17 17:09 | Comments(1)

久々のブログ再開・亡き人の誕生日

 この2ヶ月、沈黙してしまいました。この間、グリーフに関係することで話したいことが山ほどあったのですが。海外本の翻訳に日夜追われておりました。(この本—斬新なグリーフの教科書とも言うべき秀作ーについてはまたゆっくりご紹介したいです)。

 昨日、7月2日は亡き夫昌平の誕生日でした。この11月で亡くなってから12年になりますが、生きていれば72歳。戌年です。(でした? 現在形?過去形?いつも迷うところ) そこで、夕べは今は別々に暮らしている娘たちの一家に集まってもらい、孫たちも含めて総勢7名(プラス偶然7月2日が誕生日の犬のボンゾーも参加)でカジュアルなカフェで会食をしました。
 カナダに単身留学中は、クラスメートのクリスーご主人を亡くして落ち込んでいたーと一緒に互いの亡夫の誕生日には、必ずどこかで一緒に食事をして祝い合ったものです。

 グリーフには、記念日シンドロムというのがあり、最愛の人の命日、誕生日、結婚記念日、などには、「ビタースイート」(懐かしさと痛みが入り交じった)気持がふつふつとわき起ると言われます。私にとっては、もう12年も経っているので「イタい!」と叫びたくなるような感じは、確かに見当たりません。懐かしさ?ありますね。しかし、まだグリーフが新しい方々ーお身内を亡くされて1−3年の方々ーにとっては記念日はつらいと思います。幸い、仏教を初め、多くの宗教は命日に、故人を偲ぶ正式な行事を薦めていますし、家族、親戚、友人が集って会食などもあり、にぎやかさの中でグリーフのつらさも多少まぎれることでしょう。
 でも、誕生日などその他の記念日には、自分で何か手を打たないと「独りっぽっち」という方もいらっしゃるのではないでしょうか? そして、例のシンドローム。何となく、寂しい、侘しい気持になってしまいます。そこでお薦めは、そうならないように、ご家族のどなたか、または理解あるお友達(特にグリーフ・サポート・グループのお友達ならきっと分ってくれるでしょう)を誘い出して、コーヒーショップ、レストラン、バーなどお気に入りの所で、亡き人のことについておしゃべりをする、そしてその特別な日をお祝いするようにしたらいかがでしょうか? 思い出の場所だったら一層お話も弾み気分が盛り上がるかもしれません。(勿論、少々の涙は許されるコーナーに座って!)
 私の中学・高校の同級生で、今年の初めにご主人を亡くされた方があります。彼女とはよくメールの交換をします。7月1日、彼女宛のメールに私は、2日が夫昌平のバースデーであり家族が集まる予定という話をし、「貴方のご主人のバースデーはいつ? もしその日にお一人なら喜んでお食事でもお付き合いしますよ」と書きました。そうしたら、まあなんと偶然にもその日、7月1日は彼女のご主人のバースデーだったのです! 折り返し彼女からメールが来てそのことを知り、互いに話題の偶然性と、亡き夫たちのバースデーが接近していることにびっくりしました。彼女は、妹さんたちのご提案で、息子さんのご一家も一緒に、最愛のご主人を偲んでホテルで会食をしてきたばかりと言うことでした。

 最愛の人が亡くなった日。それは生涯忘れられない衝撃的なつらい思い出。その痛手と傷は永遠かと思います。しかし、よく考えてみると痛手と傷の深さはその人が自分にとってどんなに「かけがえのない」人だったか、その証拠のようなもの。そんな「かけがえのない」人がこの世に「生まれた」日、それは遺された者にとっていつまでも大切な日であり続けるはずです。あの人が亡くなっても「誕生日」までもが消えるわけではないでしょう?

 おかげさまで私は、家族と共に夫の誕生日を祝うことができて、夕べはホノボノとした気持でおりました。
# by yoshikos11 | 2006-07-03 13:31 | グリーフ | Comments(3)

花の咲かない桜の木

   今日は、私がファシリテーターを務めた聖路加グリーフ・サポート・グループの参加者(今ではお友達)のAさんから「お花見に出かけました」というメールが入り、とてもうれしかったです。春爛漫(というのにはちょっと寒い一日でしたが)、桜満開、こうい季節はグリーフする人にとっては、もしかして「まぶし過ぎたのでは?」と少し彼女のことが心配でもある私です。でも「美しいものは美しい」とグリーフ真っただ中にあって「喜び」を感じられることは、とても素晴らしいことだとAさんのためにエールを送りたいです。
   それで思い出しました。私が夫を亡くしてまだ間もない頃、雨上がりの夕暮れの空に虹を見つけました。「わあ、きれいだ」と思わずうれしくなって声を上げました。そして、悲しいのに喜びも感じる自分にちょっと戸惑いました。でも、人は二つの異なる感情を一度に持つことが出来ることを、あとで学んで納得しました。
  実は、私も今日偶然お花見をしました。幼友達と会うことになっていて、四谷駅の方まで出かけましたが, 周辺の土手の桜が満開でした。まず上智大学の前の土手。道路まで桜の枝が伸びているので、近づいてよく見るとつぼみもまだしっかりあって、見応えのある、頼もしい咲きっぷり。(詩人でも俳人でもないので、風流な言葉が出なくてすみません)
  今度は母校(ふたば)の前の土手の方に目をやると、枝もたわわに咲き乱れる桜並木がずっと遠くまで続いているのが見えました。しばしうっとり見とれていました。すると土手の一番端に、端なので実は最も目立つ所に、花が一つもない桜の老木があるのに気がつきました。老木ながら、巨大なので存在感があり無視できません。ただ花が全く一輪も咲いていないのが、この時期になんとも違和感なのです。周囲は春を謳歌する如く、花色一色なのに、「花なし」の桜の木はいかにも殺伐として、コントラストが妙に目立ちます。あたかも、花見に浮かれる人々に「世の無常」を訴えかけているようなーもしかしてそんな風に見るのは考え過ぎ?
   その木は小学校に通っていた頃から同じ場所に立っていた。確かに見覚えがあります。もちろん、当時は(50年以上前!)毎年美しい花を咲かせ、一番目立っていた姿の美しい木でした。「50年も経つと、桜も花が咲かなくなるのかしら」と友達としんみり話しました。二人で図らずも歳月の流れを感じさせられた花見でした。そして、「花の咲かない桜の木」の為にグリーフしてあげたようでした。せかっくの春、素直に皆と浮かれれば良いのに、ついグリーフのメガネで物を見てしまう。。。次回は調子を変えましょう。
   
   
# by Yoshikos11 | 2006-04-01 02:36 | Comments(0)